日記―8 月

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8 月1 日 水曜

171 日目

公園のベンチから東京ヒルトンへ

トム―「床で寝ていたとても心地のよい夜もそこそこに、共同通信(日本のロイター)のミウラさんという記者と話しをしに行った。インタビューはうまくいったけれど、京王プラザのコーヒー1 杯が脅威の値段で6 ポンド(もちろん、払ったのは彼だよ!)。それから、お昼を食べにラーメン屋の並ぶとてもせまい路地に行った。ミウラさんは、そこでも親切に支払いをしてくれた。

その日の午後は、アンジーが始めたGO-MAD というNGO のことを彼女としゃべっていた。このNGO は、休みを利用してボランティアをしたい人たちと、助けの必要な団体とをつなぐものだ。

夕方、火曜に会った2 人の男リックとライアンに、東京ヒルトンのエクゼクティブ・ラウンジ(無料の食事と飲み物)で会った。僕たちが何をしているのか話していたので、彼らは本当に力になりたいと言ってきた。リックが僕の目をじっと見て言った。「じゃあ、どうやって君たちを助けられるかな?」僕はチャリティーのことを話し、30,000 ドル集めなければならないと言った。「わかった、じゃあ、君たちを助けるにはどうしたらいい?」と彼は言う。ぼくはまたチャリティーのことを話し、彼はまた同じ質問を繰り返した。

しまいには、ポールが割って入り、僕たちはどこにも泊まるところがなく、公園のベンチで寝るつもりだと話した。リックは、ラウンジから出て行くと、5 分後ヒルトンの部屋の鍵を持って帰ってきた! こういうことは、僕を舞い上がらせ、寛大と言うことや助けが必要な人を助けるということがどういうことか教えらる。ありがとう、リックとライアン!

僕たちはラウンジを出て食べるところを探した。朝いた路地に戻った。彼らに本当の日本の食べ物屋を見せたかったのだ。アイリッシュパブに行った後、ショットグラスにコインをはじいて入れるという飲み会ゲームをした。僕はへたくそで、その夜の終わりにはちょっと酔ってしまったと白状するよばかな男さ」

(トムの回想をサイトに載せた後でこのコメントを受け取った―編集者)

ポール―「ちょっと酔った」って、トムは酔っ払ってしまって、パブでの最後の1 時間か1 時間半くらいのことを覚えていないんだよ。それに、飛んでくるコインから奴のグラスの口を守るために(ゲームの1 部)、他人のビールのマットを目の前で盗んだことも覚えていない。そして、僕がトイレに行って奴が生きているか確かめに行ったことも覚えていない!

8 月2 日 木曜

172 日目

ブリティッシュ・カウンシル

Tom, Ben and Paul with Thom and his father, Terryポール―「ヒルトンの部屋はとても心地よくて、今朝は11 時まで外出しなかった。うーん、僕たちはフェリーに乗った夜以来ずっと夜が遅かったから、睡眠がきちんと取れたのはいいことだ。でも、今日1 日はそこから始まった。ブリティッシュ・カウンシルに入ると、まじめな事務作業にとりかかった。

午後は静かに過ぎていき、この日記を書き上げたり、2 回目になるJET 会議のパンフレットを手直ししたり、会議のために目を引くポスターをたくさん作ったり、旅に関するE メールに返事をしたりした。

ミキ(最初に連絡をくれたブリティッシュ・カウンシルの人)は、コネを利用してここのパソコンにアクセスさせてくれ、ブリティッシュ・カウンシルの広報部長のリョウコに会わせてくれた。リョウコは、すぐに朝日新聞(タイムズに並ぶ日本の新聞社!)とのインタビューを次の日に取りつけてくれた。

仕事が終わって気分がよく、僕たちはトム(Thom )とお父さんとすばらしい夕べを楽しんだ。ヒルトンの部屋を見せたりした。今夜は、ウェールズ人の親切を経験した―テリー(Thom のお父さん)が夕食に連れていってくれたのだ。

人はよく僕たちがやっていることはすばらしくて、僕たちはとても他愛主義だと言う。でも、大体において(特に今週は)、僕たちは自分たちが与えるよりも与えられ、受けていると感じる。返すことができないくらい与えられている。ありがとうは、時々釣り合わない気がする。僕たちが本を書くとしたら謝辞を書くのに1 章必要だよ。夢のようでもったいない生活を僕たちは送っているよ!」

8 月3 日 金曜

173 日目

メディア巡業

The team join John Kabira on the Breakfast Showポール―「メジャーなラジオ局(J-Wave )でインタビューされることは大きな名誉だ。ただ、朝の放送なので早く起きなければならなかった。時間に間に合うように、嫌々朝の5 時に出発した。プライムタイムの15 分のライブトークだ。ありがとう、J-Wave 。うまくいったと思う。本当にそうだったとはあまり言えないけど。だって、今まで300 万人に向かってしゃべったことないからね!(君がどう思うか決めてみてよ。J-Waveのウェブサイトに行ってね。ページの左側の2番目の仕切り、「Check &Check 7:15 7:25」と書いてあるところで、インタビューの様子が聞けるよ。 ココをクリックすれば行けるよ―編集者)

Ryan and Ben  - the clowns昨日と打って変わってカウンシルが開く前に行き、夕方5 時以後までそこから出なかった。朝は、もっと日記を書いて、旅のE メールを書いて、ギアをチェックして、パンフレットをいっぱいコピーした(ありがとう、ミキ)。

その日の午後は、朝日新聞のアサコ・ミヤサカによるじっくり時間をかけた詳しいインタビューで占められた。アサコは、帰る前に大変親切にもチャリティーに寄付してくれた上に、毎日僕たちが食べ物に苦労しているのを聞いて食料のお金もくれた! いい記事ができるといいな。

その夜は、リックとライアンと一緒にロンリープラネットガイドに書いてあるとても有名なクラブでパーティーをした。ビル・ハーシーはすごく本物で、彼のクラブはリッチとビューティーで彩られていた。特権階級とレーシング・ドライバーと、たくさんのモデルと一緒になった。雑誌に溢れているばかみたいにやせた体のモデルって本当にいるんだ!

ベンとライアンは(僕たちのなかでもハードコア)は朝の5 時まで踊っていた。モデルっていうのは見ることができるだけで、後は何も起こらないって気がつくまでね!」

ヒッチハイクと列車の旅について

僕たちがまだ全ての距離を歩いているのか聞いてくる人たちがいる。僕たちがヒッチハイクしたり公共の乗り物を使ったりしているしていて分からなくなったらしい。はい、まだ僕たちはどんなところでも歩いています。でも、ビザを取ったり、今回の旅を宣伝する必要性から、歩くことを少し休んでいます。東京に滞在した後、八ヶ岳に戻って残っている部分をやり直します。心配無用、僕たちは1 メートル1 メートル歩くから!」

8 月4 日 土曜

174 日目

ジャズクラブ―いいかんじ

Ben, Tom, Ryan Paul and Rick enjoy themselvesトム―遅くまで踊っていた夜が開け、誰も12 時前に起きたい気分じゃなかった。でも、カナエという女性(J-Wave でのインタビューをセッティングしてくれた人)とお昼に会う約束をしていた。お昼を食べながら、宣伝の仕方や地雷除去の募金集めの方法を僕たちは話し合った。食事が終わると、親切にも彼女が支払いをしてくれて、NHK (日本の国営テレビ局)と東京の国連事務所に当たってみると申し出てくれた。彼らが、僕たちの運動に何かできないか聞いてくれるという。食事の後、ベンはベッドに倒れ、ポールと僕は日記のページを終わらせ、もうちょっとE メールを送るためにブリティッシュ・カウンシルへ向かった。

その晩、豪華なイタリアンの食事をしにリックとライアンと会った。リックは、イタリアン・フードとワインのことに関してちょっとした通なのだ。食事はグッドだった。でも、みんなで落ち着いていろんなことをしゃべれたのがもっとよかった。政治の話から、速い車のことまで。食事のあと、リックがバーに連れて行ってくれて、バーテンダーと僕にB52s (カクテル)を作ってくれた。その後は、ヒルトンのバーで会話が途切れず、ジャズバンド(とても体の大きいサモアのギターリストもいた)が夜明けまで演奏していた。

8 月5 日 日曜

175 日目

やっと、教会だ!

Tom and some of the members of the churchトム―この旅の間、月に2 ,3 回は教会に行きたいと思っていたのに、教会は日本でとても珍しいものだったし、日曜日は大体自然の中にいたので、一度も行くことができなかった! 幸い、クリスチャンであるということは、ただ教会に行くということではない。チームで一緒にお祈りをすることもあったし、神が僕たちを導いて守ってくださるので、僕たちの信念が強くなっていくのがわかった。けれども、この日曜日は僕の親が働いていた教会に行くチャンスが与えられた。

他の奴らはヒルトンに留まって、とても必要な睡眠を取っていた。僕は電車に乗り、市川(東京の東)の教会へ向かった。駅から下りて教会に歩いていくと、8 年前のことがよみがえる。大学受験の前、僕は暑い夏をそこで過ごしたのだ。礼拝が終わり、なつかしい人たちとしゃべった。その中に、アサイさんもいた。この旅と、チャリティーのことを話していいと僕は言われた。僕がそこを立ち去るとき、教会の人たちが5 万円以上をチャリティーに寄付してくれた。経済的にも信者としても助けてくれた人みんなに感謝したい。

Ryan, Tom, Ben, Rick and Paul dine僕が教会にいる間、ポールとベンは中華料理屋に行った。そこはリックとライアンが、コックのヒーローになったところだ(以前 2 回訪れたとき大量の食べ物をオーダーしたおかげでね)。僕が帰ってくると、ベンはすこし緊張しているみたいだった。すぐに、それはガールフレンドのダニエル(今年から JET プログラムを始める)がもうすぐ到着するからだと分かった。緊張をほぐすためにテニスをやったけど、ダブルフォルトの数から考えるとそれは助けにならなかった!

今日はリックとライアンにとって東京最後の夜で、またイタリアン・レストランに出かけた。今回はイギリスに帰る途中で東京に寄った(長野の)レイチェルと、ダニエルも一緒だった。食事の後、みんなでリックとライアンの部屋へ行き、そこで僕はベッドに倒れたけど、奴らは朝まで話していた。夜中 2 時、ポール、レイチェルと僕(ベンは 5 時まで寝ずにしゃべっていた)は京王プラザまで行った。ダンカンとマットという奴と一緒に部屋を取ったのだ。言うまでもなく、とてもぎゅうぎゅうだった。

8 月 6 日 月曜

176 日目

さようなら、リチャードとライアン

Ryan and Rickベン―リックとライアンを見送ると、ヒルトンは突然よそよそしく感じられた。またも、僕たちは彼ら 2 人の愛と親切を受け取る側だった。最初まったくの他人だった 2 人は、去って行くときは僕たちの友達だった。実は、利他主義は人々の間に存在すると信じるのに僕は葛藤したこともある。でも、僕のことを愛してくれる人たちに会えば会うほど、親切以外の何物でもなくそれをしてくれているんだと感じることができる。これは、すばらしく、力のある出来事で、僕が考えていた世界を変えるんだ。それに、僕という人間と、僕がなりたい人間をも変えるだろう。誰か他の人に、新しい友達からもらったインスピレーションや勇気を与えたいと思う。そこで、僕の友達が言っていたことを思い出した。

『僕は友達を手放さない。守銭奴が宝を手放さないと同じように。賢者の贈り物のなかで、友情は一番すばらしいものだから』

今この時、よく考えて、その日を生きている! 午後は飛ぶように過ぎ、机のいっぱいある小さな部屋で、新しい JET の気を引こうとしていた。大勢の人に話しをして、とても暑くなった。その日の終わりに、次の日のフェアはもっとスペースがあるところでやるというのでうれしかった。ミキ(素敵な女性、友達、ブリティッシュ・カウンシルの人)と食事をするために立ち去ろうとしたら、 4 年会ってなかった僕の友達に出くわした。キャサリン、またはジャス。その頃、僕は湖水地方で働いていた所から解雇された時だった。そして今、彼女は JET のプログラムの途中で僕のことを見ていて『このアフロヘアー男は誰?』と思っていたらしい。僕のアフロヘアーは、隠遁者の変装みたいだったんだろう。でも、僕たちが一緒住んでいるのは、大きくて小さな世界なんだと 2 人で理解するために僕は正体を明かさなければならなかった。

食事はすばらしかった。ブリティッシュ・カウンシルからの大勢の人たちと(それから、たまたま呼ばれたポールというアイルランド人はとてもいいゲストだった)、大きくて高いビルの 40 階にあるレストランで食事をした!

8 月 7 日 火曜

Paul and Ben talk to the JETs177 日目

JET会議ラウンド2

ベン―夜は違う人たちのホテル・ルームの床で眠って、朝集合した。そして、くじを引いて E メールを終わらせに行く人を決めた。トムが貧乏くじを引いて、キーボードをたたきに行った。ポールと僕はホテルに残り、 2 回目のフェアに向けて準備した。 JET がフェアに来るのは 2 回に分かれていて、トムは 2 回目に間に合うように戻ってくる。僕は少しだけ早く出発して、ダニエルと過ごせるようにした。ポールは後から外出して Thom (僕たちの郵便局兼東京のコーディネーター大将)に会い、トムは誰かのホテルの部屋で映画を見た。

8 月 8 日 水曜

178 日目

国連に僕たちの状況を言う!

ポール―朝、 UNICUN Information Center )とのミーティングはとてもぎこちない始まりだった(このミーティングは J-Wave でコンタクトしてきたカナエによって設けられた)。彼らは、僕たちが誰なのか、僕たちが何を必要としているのかよく分かっていなかったし、僕たちも、彼らが何をできて、なぜここに僕たちがいるのかあまり分かっていなかった。でも、僕たちが帰るときには( 3 時)、地雷除去に関して日本で一番活動している NGO と連絡してくれた。それに、次の日ロータリークラブの重要人物とインタビューさせてくれる上に、お昼マクドナルドに連れて行ってくれた。最後にフリーズ・ドライのスープをたくさんおみやげに持たせてくれた! またしても、今まで一度も会ったことのない人たちが予想以上に僕たちのために尽くしてくれた。

午後、スナッグパックがこの暑い夏に軽量の寝袋を提供してくれると聞いた。ありがとう、スナッグパック。( スポンサー のページにリンクがあります)

今日、地雷の影響を受けた人たちの写真を何枚か見て、なぜ僕たちは今これをやっているのか再確認した。時々、痛い足や、汗ばんだ背中や、その日歩かなければならない残りの 20 キロのことしか考えられなくなってしまうんだ。

8 月 9 日 木曜

179 日目

その方が道理にかなうね

ポール―難民を助ける会 Association for Aid and Relief(AAR) は、日本の NGO ですでに地雷除去のキャンペーンを実施している。現状では、 AAR は僕たちに力を貸すことはできない。彼らは HALO トラストのためにお金を集めているからで、僕たちは Adopt-A-Minefield(AAM) のために歩いているからだ。

僕たちは長い間、日本で地雷除去の募金を集めるには、日本のチャリティーや組織のために歩くほうがもっとお金が集まると思っていた。(外国でどんなものでもチャリティーをするなら、その国のチャリティーのためにやることを薦める)したがって、ここでは AAR のためにお金を集め、他の所では AAM のためということができないかを討議した。

その方が確かに道理にかなうというものだ。僕たちは地雷除去のためにお金を集めたい、そして、 AAM は彼らの活動を通してこういうチャンスを僕たちにくれた。でも、もしここで AAR のために歩くのならもっとお金を集めることができるだろう。

基本的にすでに約束された通り、今まで僕たちに送られたすべてのお金は AAM に行く。これから、日本で集められるお金は AAR に行くことになる。しかし、他の場所から集められるお金は AAM に行く。

とにかく、まだ話し合い中で何も変わっていないから、後でみんなに結果を知らせるよ。

ロータリークラブとのミーティングは結構急いで行われたが、オサさん( UN で連絡をくれた人)とトムが僕たちのことを全国会議に紹介した。ごちそうしてもらって、北に向かっていく時に通り過ぎるいろんな県に住んでいるメンバーの住所をたくさんもらいその場を去った。どういうことになるのか楽しみだ。

8 月 10 日 金曜

180 日目― 2 キロ

東京から脱出

Travelling againトム―東京に来た時の当初の予定は、 7 日か 8 日に東京を出るというものだった。僕は落ち着かなくなってきて、やっと東京を出るということにとても安心する。 Thom のところを 9 時半に出て、八王子(東京の北西)まで電車に乗り、ヒッチハイクできるところまで歩いた。 15 分経たないうちに、 70 歳の婦人が運転している小ぶりの車が止まった。僕たちが行きたいところをまさに彼女は通るので、そこで降ろしてくれると言ってくれた。それは、 3 週間前にヒッチハイクしたところだ(何年も前に感じる)。なんとか 3 人車に収まり、 1 、 2 時間おしゃべりをした後(彼女はタクシードライバーだということがわかった)、車から降りてさようならと彼女に手を振った。

約 2 キロ歩いた後、展望小屋に着き、そこで雨を避けた。さっきの女性がくれたラーメンを作った後、ひさしぶりに気持ちのいい野外で夜を過ごした。

8 月 11 日 土曜

181 日目― 33 キロ

ジュージュー・ステーキ

Mr Sato discusses routes with tomトム―再び歩くことはいい気分だ。でも、東京にいたので当然体がなまっている。日焼けも取れて、ベンと僕の腹は大きくなっていていたし、みんな脚がなまっていた。

日本で一番高い線路( 1300 メートル)を過ぎ、広い広いレタス畑を通った。長い山道( 2200 メートル)の先端まで歩こうと思っていたが、途中で年配の男性(サトウさん)に呼びとめられ、その晩は彼の家で過ごすことにした。

彼の好意に甘え、彼はお姉さんと森に囲まれている大きな家に住んでいるのが分かった。その家は、 15 匹のネコの家でもあった! 今日、サトウさんは早い時間に僕たちを見かけていたので、僕たちひとりひとりにステーキを買っておいてくれた。裏庭の小屋にある木炭ストーブでそれを焼いた。彼は、自分の人生について話し、お姉さん(フジコさん)とどうやって東京から田舎に 10 年前に引っ越してきたかということや、彼の好きな絵を描くことや、陶芸のことを話した。ステーキの後は、フジコさんがおいしいパスタを料理してくれて、別の部屋に僕たちのための寝床を作ってくれた。またしても、僕たちは夢のような親切を体験した。

金峰山( 57 番目の山― 2598 メートル)

瑞牆山( 58 番目の山― 2230 メートル)

8 月 12 日 日曜

182 日目― 37 キロ

(なぜ、彼らはこんなことをしてくれるの?)

Mt Kinpu zan - the first peak of the dayベン―今朝布団から出ることは楽じゃなかった。カズミの小屋に着いた時には、トムはスクランブルエッグとおかゆを食べて、出発する準備万端だった。

4 時間歩いて、登山口に着いた。その間 2 回、車に乗りませんかと呼びとめられた。最初の女性は、僕たちがチャリティーのために歩いているので乗せてもらうわけにはいかないと言ったら、 12 万円(約 120 ポンド)くれて走り去った。 2 番目の人はトムを通り越して、それから引き返して乗っていかないかと言ってきた。彼もチャリティーのためにお金をくれて、僕たちにはおかしをくれた。僕たちが何者かを受け入れて、何をしているかを人々が分かってくれる本当の理由を頻繁に考えなければならなかった。とても驚かされる。

The second peak Mt Mizugaki zan山道で遅い日になることを覚悟した。 2 山登りたいので、夜 11 時半までかかるだろう。いつもより、 5 時間以上かかる。この辺りは、日本でも有数のロッククライミングができるところなので、僕は特にこれらの山を素通りしてしまうことが嫌だった。この辺りでは、岩の露出がとってもすばらしかったんだろうなあ。

日が暮れるにつれ、日本の登山者が僕たちの計画を聞き始めた。でも、ヘッドライトで道を探すプランを言うのは避けた。大体、こうした登山者は午後 4 時にその日程を終わり、設備の整った山小屋で冷たいビールを飲む。その時間より後に歩いたり登ったりという考えは、「本当にとても危険」なことなのだ。でも、故郷ではキャンプ旅行を 4 時以降になるまで始めようともしなかったことが結構あったけどね! 夜中までには寝る態勢になり、夜はバナナしか食べられなかった。

甲武信ヶ岳( 59 番目の山― 2475 メートル)

Kobushi dake8 月 13 日 月曜

183 日目― 16 キロ

ベン―昨夜の夕食を補うチャンスが朝食だった。朝の 5 時にカレーライスを食べるのは、聞いた感じほどは悪くないよ。すばらしい尾根を上がったり下がったりして、今日の山頂に着いた。登っている途中ほとんど林で、イギリスの山に似た感じだったので気分もよくなり、昨日の登りより力を使わなくてもよかった。でも、暑いのがやっかいで 1 日中汗が流れ落ちた。一夜を明かすための小屋では、父親と息子 2 人の 3 人組と一緒だった。

8 月 14 日 火曜

184 日目― 20 キロ

ちょっとした休み

ポール―話すこと、口調、物の見かた、素振り、態度、心の状態、頭脳の関与、こうしたものがコミュニケーションの部分であり、それらの配合が正しくないとみんな困惑したり、傷付いたり、悲しんだり、幻滅したりする。今朝、考えのない批判が1つなされ、それがまた批判を生んだ。その批判の口調が正しく受け取られず、討論、もしくは言い合いになってしまった。ベンは、午前中何だって自分がここにいるのか再検討していた。僕は自分をバカだと思いながら、何も考えないようにした。この旅は僕自身についてとてもよく学ばせてくれるし、他の人と生活することがどういうことなのか教えてくれる。この旅が終わっても、こうした経験が身についているといいなと思う。

午後 1 時までには、 60 山目の登山口に 1 キロと離れていない展望小屋のそばの道路で座っていた。どう考えても 6 時間はかかるだろう。誰も 2 個目のヘッドライトを終わらせたくはなかったし、僕たちは完全にいかれているわけではなかったから、午後の休みをとった。川で泳いだり、アブ、岩、そしてお互いをベンの BB ガンで撃ったり、日誌を書いたりして、何日かきつい山登りの日のあとちょっとした休憩になった。

夜にかけて、川の上にある家で休暇をしていた家族が、フライド・チキンとフライド・パンプキンを持ってきてくれて、少し話をした。こういうことは、日本では普通に起こるようだ。その晩、雨が降り、調理器具は 30 パーセントくらいしか役に立たなかったけど、午後休みが取れたので気分はよかった。今朝の言い争いは忘れられ、僕は、ベンに頭を撃たれたことと奴の BB ガンに文句言うことで気が収まった。

両神山( 60 番目の山― 1723 メートル)

8 月 15 日 水曜

187 日目― 26 キロ

Hot and sweaty at the top of  Kyokami-yammaこの頃、 4 時半になってもまだ暗い。この時間に起きるのが前よりつらい! 予備の上着 1 枚と、食料と水少し持って、朝の 6 時には両神山の山道にいた。誰も朝話すのは好きじゃなかったので(特にこの時間はね)、静かだった。ぼんやりとしたグループはなんとか最初の急な登りに来た。霧と深い森を抜けて登るとき、小さな鳥くらい大きいアブが僕の唯一の友だった。

時々、ベンの後姿を捕まえることができた。トムは、その日速く歩かなければならない理由があったので、登っている間はほとんど見なかった。奴は時々完璧に機械で、アルプスで僕たちが経験した急なところでも、基本的に平らだと言わんばかりに飛ぶように登ってしまう。奴はとても速く歩いたので、(急な上り下りがある尾根へ続いている)尾根で 2 回も道を素早く抜けて、藪の中に入り山頂やどこかへ新しいルートを見つけようとした。

この登山で誰も見かけなかった。たぶん、いい景色が見られないように。天気は、どんよりして、静かだった。山頂では、汗をシャツから搾り出せるくらいだった!

この登山は 6 時間で終わらせられるとトムが昨日言っていた。山頂で 30 分休憩を取った後(これは、昨日の計算には入っていなかった)、彼自身が正しかったことを証明するために飛ぶように下りていった。出発してから 6 時間後( 5 時間半の登山の後)、トムは川で泳いで、ベンと僕がわざと少し遅れて来るのを待っていた。

ベンと僕は川に来るまでずっとしゃべっていた。一番の話題は、今現在経験しているチームの動きだ。今朝になって初めて、僕たちが昨日したささいな喧嘩が、僕はここで何をしているのかとベンに考えさせたことを知った。小さな言い争いがたくさんあり、他の誰かより優位に立とうとすることが多くあった。それは、与えるよりも奪いたいという気持ちだった。感情や会話において、それにもちろん食料においても! みんな知っていることだけれど、知っているからって物事を変えるのは簡単なことではない。

でも、それらをすべて言ったおかげで、ベンと僕が川に帰ってきた後、すてきなチームの時間が持てた。トムが僕たちを待っている間話をしていた家族が、ビールを 3 つ持って来てくれたのだ! 太陽の下でビールをすすり、ベンの BB ガンでアブを追い払いながらいいひとときを過ごした。

午後、きれいな谷を歩いて下り、祝日を楽しんでいる多くの家族と川を見て楽しんだ。僕たちの気分は、僕たちのロードマップがあまりよくなかったので、ちょっと落ち込んだ。大きな道路 3 つが記されてなく、そこにはない道路が記されていて、行きたい道に通じている 1.5 キロの滑る道路のことも書いていなかった。やれやれ。

とても小さな村の店で買い物をした後、コンクリート工場からすこし離れた小さなコンクリートの上にテントを張った。それ程悪くない場所だったし、とてもおいしい食事の後、眠りに入った。この夜ベンは僕の首を撃った。僕が言ったことのせい?

雲取山( 61 番目の山― 2017 メートル)

8 月 16 日 木曜

186 日目― 19 キロ

The team with Mat at the top of Mt Kumotori トム―コンクリートの脇道で過ごしたみじめな夜も終わり、次の山、(雲を捕まえるという意味の)雲取山へ向かった。

でかいダムを通りすぎながら、山のふもとにある寺へ続いている山道に入った。僕たちの足がまだ他の山へ登る準備ができていないと思い、その寺で休憩した。登っている途中で、イギリス人のマットに会った。僕たちは登っている間ずっと故郷の知っている場所を挙げて、登山の話をした。ちょうど 4 時前に山頂に着いて何分かいい景色を見ることができた。それから、山は名前の通り雲を捕まえてしまった。

チームで少し話し合った結果、今日は早めに切り上げて、マットと一緒に山頂近くの避難小屋で過ごすことにした。夕飯を食べながら、マットはまだ見たこともないキャンプ道具を見せてくれた。中には、箸 2 組(それらは、ねじで 1 つになる)、小さなキャンピング・エスプレッソ・メーカーに、とても小さいヘッドライトもあった。

8 月 17 日 金曜

187 日目― 25.5 キロ

川で、ひと浴び

トム―僕は気持ちよく眠っていた。 1 人のハイカー(キムさん)が、小屋で朝食袋にねずみを見つけるまではね。ぶっこわす、たたきつける、踏みつける、ぶちのめす、ぶったたく。おかげで、周りの林にいたシカが高い声で 30 分も鳴きつづけた。でも、朝 4 時半にフライパンを落として僕は仕返しをした。

マットとキムさんにさよならを言ってから、山を下り、村に入って次の日の食料を買った。それから続く 1 時間は、何キロか近道できる山道を探したが、そこは草木が茂りすぎていて通れないことが分かった。続く 2 時間は、小さな道を通ったが、暑くて汗びっしょりだったので通りぬけると体を洗いたくてしょうがなかった。きれいなプールを見つけ、昼食のために泳いで、体を洗うことにした。

その後何時間か歩いて、登山口に着いた。その道は、松が茂っていた。僕の足は力に溢れていて、今までにないほど速く歩いた。夕方 5 時、尾根の鞍部でその日は終わりにして、山頂に行くのは明日にした。だって、そこは近くに湧き水のあるすばらしいキャンプサイトだったからね。

大菩薩嶺( 62 番目の山― 2075m )

8 月 18 日 土曜

188 日目― 42km

At the top of Daibotsu dakeベン―昨晩チームで話をしていて、僕は起きる事と寝ることをもうちょっと規則正しくやったほうがいいと説得した。だから、今朝は全員いっしょに 5 時半に起き、 1 時間後には 62 番目の山へ向かった。すぐに到着したし、そんなに負担はなかった。

霧雨のような雨が散る中、僕たちは道路に着いて山梨県へ入った。そこは、日本中でも有数の桃を育てている県らしい。熱い道路を富士山に向かって歩くのは大変だった。ふっくらしたみずみずしいフルーツが、歩道からちょっとしか離れていない木から僕たちを見つめているから。あまり気にしないように、ポールとトムは僕にジプシー・キングスを薦めた。 10 ヶ月前に送ってくれると弟が言っていたミニディスクがもっと待ちきれなくなったよ!

8 月 19 日 日曜

189 日目― 50km

痛くなるにきまってるじゃん。

More walking for Paulベン―覚悟しようぜ。今日は、初の 50 キロをやる日だ。

と言っても、うそついてないよ。富士宮に着いて、 1 ヶ月前に E メールしてきた JET に会いたかった。富士山の目の前にある山を越えるのに、いつまで続くのかと思うくらい時間がかかった。歩くのは暑いし、ゆっくりだったけど、峠を越えるとましになった。

1 日中、ハーレーダビッドソンのバイカーたちに通り越された。息子を小さなベスパ(イタリアのかっこいいスクーター)に乗せた男がトムに話しかけ、 1 年に 1 回ハーレーの集会があって彼もそこに行く途中だと説明してくれた。トムは、その男がハーレーに乗っていないわけを尋ねると、息子がハーレーに乗りたがらないのでスクーターになったというわけだ。

1 日中同じ道路を歩いていて、夜の 7 時に警察がやってきた。ここを歩いちゃ行けないんだって。やば!  50 キロ歩くというデカイ仕事はやれた。でも、その結果は? 僕たちが会いたかった JET はいなかった。そこで、かっこよく森の中に足を引きずって入り、キャンプをした。僕は日焼けのせいで体中虫刺されになって、 1 日は締めくくられたよ!

8 月 20 日 月曜

190 日― 33km

海で、ひと浴び。

Ben proudly dispays his 7-11 haulポール―昨日の 50 キロを 1 日中感じることができた。固くなったふくらはぎや膝のうしろ、痛い尻、両膝に変な痛みで昨日の 50 キロを実感した。両足と固くなった肩がひりひりした。僕たちは長い距離を歩けるって分かったけど、まだ痛いんだよ!

今朝の歩きは最低だった。それは、悪い睡眠(よく目が覚めて、気持ち悪く、余分にかく汗が僕の肌で凍って寒くても汗っぽかった)から始まり、町の汚い場所とストリップがいっぱいあるところを通り抜けた。体が痛くて、大体において何に対してもいらついた。他の奴に八つ当たりしていたので、奴らが今朝どう感じていたかは分からない。朝ほとんどの時間を自分たちだけの小さな世界で過ごせたのが僕はよかった。

お昼になって、僕が感じるかぎりまったく状況が変わった。海の堤防を登ると、僕たちの前には青い海が広がっていた。そよ風を感じ、車の音は遠くなり、僕の心は落ち着いた。 700 円以上もするだろう昼食を取っている間、7イレブンの裏で起こったベンのある発見がなんてすばらしかったんだろうとしみじみ僕は感じた。

奴の鋭い瞳は、かわいそうな何も知らない 7 イレブンの従業員が期限切れの食べ物を捨てに来たのを追っていた。その食料はそこに長いこと横たわっていることもなく、僕たちがただで食べちゃったわけさ!

きれいな海に入って、午後は海の堤防を歩いて過ごした。海のそよ風の歌、波の砕ける音が、車の音を消した。太陽が出てきて、気分が良くなってきた。その夜、沼津市の真ん中を流れている川でキャンプをした。橋の下を使いたかったが、場所は全部取られていた。日本のホームレスは東京の外にいる。

8 月 21 日 火曜

191 日目― 36km

ポール―今日、台風が来ると注意されていた。激しい風で車が転がったり、ちょっとした混乱や冒険を期待していた。雨になった。(朝 10 時前に降り出し、水曜の午後 1 時まで止まなかった。)

雨が降り、僕たちは歩き、濡れて、とてもおかしな格好になった。僕たちがみじめに見えたらしく、車で通り越して行った女性が引き返してきて僕たちひとりひとりに傘を渡してくれた。こういう小さな事が、今日みたいな日でも人を笑顔にしてくれる。運が良かったのは、あまり寒くなく、そんなに風がなかったことだ。アルプスにいた時より雨は降っていたかもしれないけど、アルプスがひどく感じられるのは風のせいで雨が体に入りこんできたからだろう。

お昼は小さな屋根の下で縮こまって、サンドイッチを食べた(毎日、食料を買えるのはいいことだ―携行用食品じゃない)。夕方、次の山の途中、よく水のはけている砂利の上(少なくとも洪水にはなっていなかった)でテントを張った。雨の中を歩いていても大丈夫だと、通りがかった 1 人の農夫を説得しなければならなかった。僕たちは、経験豊富な旅行者だからと。だって、そうだもん! みんないつもそう言うんだと言いながら、彼は車で去って行った! 夕飯は、傘の下で食べた。夜 7 時、眠りについた。あまり、やることがなかったから。まだ、雨が降っていた。

天城山( 63 番目の山― 1406m )

8 月 22 日 水曜

192 日目― 35km

Tom and Paul, a little soggyトム―雨はテントを一晩中打ちつけたが、テラノヴァ( スポンサー のページを参照)が送ってくれた新しいフライシートが雨をよけるのにとても役に立った。テントからやっと出て、朝食を作った。びしょ濡れの道具をバッグに詰めた後、登山道に向かって出発した。

雨のせいで道は全部小さな洪水になっていて、山頂に行くのにとてもびしょ濡れになって歩いた。傘の下で証拠写真を何枚か撮ったあと、違う道から山を下りた。水が増して、とても危ない川を渡ってから、道路に到着して、トイレの建物の目の前に避難できるところを見つけ、そこで昼食を食べた。

道路を下って行くにつれ天気はよくなり、すぐに燃える太陽の中を僕たちは歩いた。防水ジャケットを脱ぎ、サンダルを履いて、 Thom の家に行くので体を乾かそうとした。残念なことに、水のように簡単に匂いは取れなかったけれど。伊東市に入ったら、ちょうどすばらしい夕焼けが見られた。食料を少し調達してから町田に向かう電車に乗り、夜 10 時半に Thom の家に入り、僕たちは疲れきって眠らなくちゃいけない状態だった。

8 月 23 日 木曜

193 日目

眠れる美女たち!

トム―みんな結構遅くまで寝ていた。でも、バルコニーにいたポールほどではないけど。僕が朝の 10 時にすね毛をひっぱるまで起きなかった。けれども、ポールだけが眠れる美男ではなかった。スナッグパック( スポンサー のページにリンクがあります)がやわらかい寝袋を 3 つくれていたからだ。これらは、僕たちのダウンの寝袋より軽くて、小さくて、蒸し暑い夏の季節により適しているやつだった。僕たちは、北海道に行くまでこれを使うつもりだ。

朝寝坊の後、山のようにパンケーキを作って、食べて、服を洗い、ブリティッシュ・カウンシルに向かった。そこで、 E メールをやったり、日記を更新するためだ。この作業の後、ベンはダニエルに会いに行き、ポールと僕は町田ヒルトン( Thom の部屋)にチェックインした。

日本での募金活動

この機会を借りて、日本で僕たちがやっていることを理解してくれている人たちに感謝をしたい。僕たちを援助してくれること、地雷を除去するためにお金を集める活動を手伝ってくれることはかけがえのないものだ。

具体的に募金活動はどうなっているか、日本での地雷の認知はどうなっているか最新情報を伝えたいと思う。日本で、 20 万円( 1200 ポンド)を集めた。これでいいが、もっと集める方法を考えている。東京で旅を宣伝し、 AAR という NGO に接触できた(彼らのウェブサイトは、 www.aarjapan.gr.jp )。現在アフガニスタンで地雷除去を行い、被害者救援を行っている HALO トラストに直接行くお金を集めるのも彼らの活動内容だ。

僕たちはイギリスのアダプト・ア・マインフィールドのために募金活動をしているけれど、 9 月から日本で集められるお金は AAR にいく。前に集められたものは、元々取り決めがあった通りアダプト・ア・マインフィールドに行く。

日本から日本のチャリティーにお金が行くほうが、日本人に彼らの募金が役に立っていることが分かりやすい。さらに、すでに行われているキャンペーンと関係が持てる。日本人はそれについて聞いたことがあるから、募金活動をしている者としての信用を得られる。

どこにお金が行っても同じゴールを目指しているのだとわかる。地雷を除去し、地雷の被害者を支援しているのだから。

8 月 24 日 金曜

194 日目

チャリティー活動

A cello player at the cartoon exhibitionポール―今日は、何時間かの作業になるだろうと思っていた。甘かった。今日は、僕たちが AAR のために日本を歩くということを公表する日で、それに 1 日中かかった。世界中から寄せられた地雷被害についての漫画展示に行って、そこで 2 人の観客に自己紹介をして、トムが日本語で僕たちが何をして、なぜやっているのか説明した。どうやったら、僕たちをサポートすることによって地雷を除去することに参加できるかを明確に話した。 AAR のオフィスに、旗(山頂で見せるやつ)と T シャツを取りに行った。

出席者は多くなかったけれど、これで僕たちは正式に AAR のために歩くことになった。僕にとって、展示は僕たちがなぜこの旅をやっているのかもう 1 度考え直すきっかけになった。小さなことで、僕らとこの旅に関わる多くの人々が地雷を除去できる何かをできるようになるんだ。軍が残した後、大きな被害をもたらしている地雷を。

8 月 25 日 土曜

195 日目

また会える

ポール―今日は僕たちのお休みの日だ。ナイーブなやつ、ベンは僕らを捨ててダニエルに会いにいった。トムと僕は、いろいろやるために走りまわった。新しい携帯を買ったり、イギリスに送り返す小包を整理したり、チームの E メールに返事を書いたり、僕は、うっかり忘れていた木曜の日記を書かなければならなかった。

まあ、有意義な日だった。僕たちは、市場で一番かっこわるい電話の持ち主さ!

夕方になって、その日はすごいことになった。 Thom が、僕とトムにおいしいフラペチーノをおごってくれて、僕たちと彼のガールフレンドを一緒にこれまたおいしい食事に連れて行ってくれた。すばらしい奴だ。ただ、後で Thom は昨晩教えたゲームで僕を負かして、僕からいい印象を失わせたことは言っておこう。

Coasting along8 月 26 日 日曜

196 日目― 24km

伊東と前進

ベン―僕たちの元の計画は、東京を出ることだ。でも、僕の愛している人と一緒にいる時間をもっと過ごさなければならないとき、僕は文句を言わない。伊東に戻るのは、今朝決まったことだ。東京を去るのが不可能だと思えるようになってきて、実際ここにいたら僕たちの時間は大都市によって吸い取られてしまうだろう。お昼までには道路に戻ったけれど、東京に近づくためにかなり遅くまで海岸線を歩いていた。道路脇の公園で休み、野外で寝た。暑くて、気持ち悪い夜で、蚊が僕の体で宴会を開いているのに、トムとポールはまったく血を提供しなくてよかったんだから!

8 月 27 日 月曜

A fellow seeker of monastic hospitality197 日目― 41.5km

山道近くのお寺

ベン―いつものように長くて遅くなった 1 日、ポールは新しいサンダルと格闘して気がめいっていた。ビーチで何もしていない家族連れを通り過ぎている時ちょっと退屈だったけど、内陸に入ってから景色が変わったのはうれしかった。暗くなってから、きれいな仏教寺を見つけ、今日はそこで終わりにした。大きくて、美しくカーブしている屋根が、木造の縁側の上にかかっていたので、今夜泊まる場所になった。僕は、夕飯を作りだしたが、トムが引き継いだ。僕が、調理器で足の甲を焼いてしまったからだ。びっこをひきながら、冷たい水を探した。あ、そうそう、汚い言葉を言った口を洗う石鹸もね!! (僕の言葉は、けがした時ちょっと汚くなるのさ)。

丹沢山( 64 番目の山― 1567m 、もっと高い山頂は 1672m )

8 月 28 日 火曜

198 日目― 41km

The team raise AAR's flag atop Mt Tanazawaトム―僕たちはみんな、赤ちゃんのように眠った。でも僕は、棒を持って僕たちを追っかけてくる怒ったサルの夢を見た。僕たちがパッキングをしていると、子供たちがお寺の中庭を掃きはじめた。それが終わると、ラジカセから鳴り響きく音楽で体操を始めた。

山道に着くまで、 1 マイル半道路を歩いた。道は滑りやすくて、雨のなかで登山だったら悪夢だっただろう。尾根に登るとどちらが公式の山頂なのか分からなかったので、年をした登山者に知っているか聞いてみた。彼は、この山に 270 回も登ったんだって! アドバイスを聞くのにこんな適任者はいないよね。山頂で恒例の証拠写真を取った。いつもと違ったのは、 AAR の旗と一緒にということだ。

下りていく途中、間違ったところを曲がってしまったので、尾根まで戻らなければならなかった。この山には水がなかったので、道路に着いた時には息が切れていた。谷に下りて、途中の寺で置いてきた道具を取りに行った。食料を買うお店が開いてなかったので、マクドナルドのきらびやかなマークが僕たちを招いていた。各人メキシカンバーガーをがつがつ食った。その夜、砂場の隣にある小屋で一晩過ごした。

8 月 29 日 水曜

199 日目― 43.5km

東京、やってきたよ。

One of the trek's younger supporter's with Benトム―僕たちは目が覚め、この公園で愛犬家の集まりがあるのを知った。僕の目を捕らえた犬は、類まれなるボール遊びの名手だったコーギーだ。朝の食べ物が何もなかったので、途中でスーパーマーケットを見つけることにした、 10 時半まで見つからず、僕たちは飢えていた(僕たちが 5 時半に起きてること忘れないでよ)。歩くのはとてもかったるくって、 246 号線をずっと歩かなければならなかった。歩くにつれ新宿(摩天楼地帯)のような地名が出てくるようになった。 6 時には切り上げることにして、町田行きの電車に乗った。またそこで洋服を洗い、 Thom 、シオバーン、ダニエル(ベンの彼女)とおしゃべりをした。

8 月 30 日 木曜

Trying to promote AAR in Tokyo200 日目― 22.5km

嵐の東京?

ポール―今朝 Thom のところを出て、これが最後になるだろうということで気分が重かった。ベル・コートは、家というかんじがしてきたのだ。でも、それはシオバーンを心配させる考えだったけどね!

The team and Danielle have a bite to eat 今日何が起こるか分からなかった。やっと、東京の中心を歩いて通る日だ。都会にいたことで J-WAVE(東京の最大、最高のラジオ局)によってよく応援された。でも、そんなことが起こったのか今では確かじゃない。新宿の真ん中に酔っ払った学生が寝ていて、僕たちが旗を掲げているよりも目立っていた。ええっと、摩天楼の中を歩くのは楽しかったし、ヒルトンの部屋に泊まれたすばらしい出来事Dan and Ben - Ah!もあった。重荷に耐えていて、名声のために僕たちはここにいるんじゃないから、ダニエルと会った後、前に進んで適度な食事をした。

午後 4 時までに、皇居の前を通り、東京の中心に着いた。そこは、スーツを着た男たちばかりで、新宿より少し落ち着いたところだった。ダニエルにお別れをして、パイクさん(東京の教会の家族)から今夜一緒に過ごすことができないかと言われた。そうなるのが僕はとてもうれしかった。僕の足は、痛くて、都会を歩くので疲れていたのだ。パイクさんのとこに行く途中、移民局に寄ってみて今ビザを延長できないか調べようとした。でも、僕たちが到着した途端ドアは閉まってしまった。

おかしな日だった。僕にとっては、短く、でも疲れる日。でも、パイクさんのもてなしととても気持ちのいい布団で、その日はすばらしく終わった。

8 月 31 日 金曜

201 日目― 35km

食べ放題と、もう少し

In tents againポール―今日の出だしがよかった。パイク家自慢のきちんとした朝食。それに、終わりもよかった。食べ放題レストランの前を素通りできなかったのだ。でも、そこで本当に今日という日が終わったわけではない。自分たちのお金を有効に使うために自分たちで料理して食べ、東京の端に行くために 2 時間歩いた。世界でも大きな都市を歩くのに、 2 Tom at home with the Pikes日半もかかった!

待ち合わせから解き放たれ、決まった時間に決まった場所に行かなくてもすむので、プレッシャーが少なくなった。コンクリート・ジャングル、騒音のひどい道路、何も考えずに走り去る自転車を抜けるのに、おしゃべりができてよかった。その夜、川でキャンプをし、田舎に帰ってきたなあと思った。

各月ごとの日記―

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