日記―5

二月 | 三月 | 四月 | 五月 | 六月 | 七月 | 八月 | 九月 | 十月 | 十一月 | 十二月

51日 火曜

79日目―19km

合法外国人

彦根は、外国人として登録する場所らしい。そうしている人たちがたくさんいた。リンの住所のおかげで、すぐに僕たちは手続きが済み、3週間後に帰ってくるように言われた。面倒くさいけど、東京に帰るよりはずっとましだ。12番目の山にできるだけ近づこうと歩き終わった夕暮れ時、歯のない男に呼び止められた。そのおじさんは、何回もおもしろい顔をするので、すぐに歯のないことが分かった。おじさんは、僕たちの荷物を見て「グリーン・パーク」に向かっているに違いないと決め付け、道を間違えていると言った。その場所はなかなか良さそうだったので、おじさんが教えてくれた道を行った。

その晩、おじさんは僕たちを見つけ、言った通りの場所にキャンプをしなかった僕たちをばかだと言った。トムは、道の説明を少し聞き逃してしまったのだ。それでも、おじさんは僕たちを見つけたことがうれしく、僕たちに酒をいっぱい注いで、すごく酔っ払い、また何回も僕たちのことをばかだと言い、おもしろい顔をし、僕たちに米をいっぱいくれて、家に運転して帰った。おもしろい晩だった。トムによると、おじさんの言っていることを理解するのは、酔っ払っている歯の抜けたグラスゴー市民を理解しようとするようなものなんだって!

伊吹山(1377m12番目の山)

52日 水曜

80日目―25km

A very cloudy summitベン―「僕は目が覚めると、お酒のせいでちょっとぼんやりしていた。でも、2番目に小さい山、伊吹山に登り始めたら頭がすっきり冴えてきた。高さは1377メートルしかないけれど、僕たちは1番急な場所を登った。おかげで、正午近い休憩時間には山頂に着いた。ところが、天気が悪くなってきて、まもなく山の反対側から風と雨が僕たちを追いかけてきた。それから1日中激しい雨が続き、水が道に溢れて、究極の雨降りハイキング・ゲーム「ストーン・サーフィン」を僕たちは発明した。それは、石や、溝や、枝とかいろんな流れてくるもの巻き込んだゲームだ。雨を避けて眠ることのできる展望台を見つけた時はみんなほっとした。

53日 木曜

Protecting the tent from the rain81日目―37km

雨と、お腹いっぱいの試食品フルーツ

今日書くようなことは2つしかない。僕たちがキャンプを出ようとした10分前に雨が止まったことと、僕がスーパーの果物の試食品をひとりで全部食べちゃったこと。きれいで大きい川のそばでキャンプをして、トムによるラーメンの食べ方を見た」

54日 金曜

82日目―45km

泳ぐ寝袋

トム―「今日中にできるだけ距離を稼ごうと、山に深く入って行く道路を登っていった。今日のハイライトは、ポールが踊りながら川に入っていくのを目撃したことだ。昼食を取るために休んでいたところで、突風に飛ばされた寝袋を回収しようとしたのだった。

荒島岳(1523m13番目の山)

55日 土曜

Arashi Dake83日目―44キロ

午前中、13番目の山、荒島岳の登山口まで歩いた。バックパックを下ろして、みんなショーツになり、登山道を登り始めた。雪のある所を何回か通り、山頂に着いた。そこには、完全装備の日本人登山者が10から15人いた。山のふもとに下りてから大野市へ向けて歩き、食料を買ったり日曜日にふさわしいキャンプ場を探した。

56日 日曜

84日目―0km

キャンプサイトはゴミ捨て場

Ben models his improvised rucksack暗がりでこのキャンプ場を見つけたにしては、そんなに悪い出来じゃない。そうさ、僕たちはゴミ埋立地の隣にあるコンクリートの道で寝たさ。そうさ、空の鳥が、僕たちと荷物をまだらにしたさ。でも、ここは休むのに悪い場所じゃなかった。警察が少し話しかけてきたくらいで、誰にも邪魔されなかった。そして、曲がる人形から電子レンジまで何でも売っている大きな店に徒歩で5分だ。

そこのトイレを僕たちですばやく占領し、買い物をするために臭い体を洗った。白山登山用の食料、インスタントラーメンを2つのかごいっぱい買うために。その後は、トムの優れた発明、究極のロープ・アイゼンを作るので1日過ぎた(僕たちは、アルプス用の装備を取りに行っていなかった)。ベンは、防水バッグにいくつか紐をくくりつけて、間に合わせのリュックサックを作り(彼のバックパックは欠陥品で、送り返さなければならなかったのだ。これで、チームのきちんとしたバックパックは2つになってしまった)、ポールはやっと日記を書いて更新した。それと、言い残していたことは、みんなでおしりを日に焼いていたことだ!」

ポール―「週のまとめ:月曜と火曜は、休息、インターネット、役所での事務手続きをしたくらいだ。水曜以後は、アルプス登山のことを考えて積極的に歩いた。151キロ稼ぎ、1213番目の山に登った」

57日 月曜

85日目―37km

郵便と準備

トム―「目が覚めると、15人の警察官が川の向こう側からにらんでいた。後になって、彼らが捜索隊の一部だと分かった。僕たちのところに来て、足を引きずった女の人を見なかったか聞いてきたのだ。

次の町で、アルプスで必要ないと思われるもの(ハーモニカ、つり道具、ホーマーの「オデッセー」など)を東京にいるトム(Thom)に送った。ベンのリュックサックは、早急に修理してもらうためにニュージーランドへ送った。

14番目の山、白山に登るのに必要な3日分の食料を持って、急な山道を登り始めた。初めて目にした白山は、とてもすばらしかった。山頂には、まだ雪が積もっていた。川のそばでキャンプをしたら、この旅で2匹目のカモシカを見た。

白山(2702m14番目の山)

58日 火曜

86日目―21km

誰もよく眠れなかった。ひとつのテントに3人で寝たからだ。昨日、一人用テントは東京のトム(Thom)のところに送ってしまった。山道の最初の地点で、工事作業員に何人か会った。その中のひとりは、山を登って食料を山小屋へ運んでいたポーターだった。今は、ヘリコプターがやっている仕事だ。山道は、雪に深く埋もれていて、そのうち見つけられなくなった。僕たちは、2000kmの小屋まで雪と足場の悪い急な斜面を登り、そこでお昼にした。

その小屋に僕たちの道具を置いて行くことにして、リュックサックひとつで山頂を目指した。その小屋から山頂まで1時間半かかった。そして、山小屋に下りる時はずっとグリセードしてきたので、30分しかかからなかった。2000kmの山を捕らえたことに関してはみんな気分が良かったが、天候は1日中悪く、とてもきれいなはずの山も全く見られなかったので、少しがっかりした。

59日 水曜

87日目―20km

これは…山狂いになる!

ベン―「何だ?ベンが一番に起きて朝食作ってる?!

普段の朝食なら、なんかのいたずらかなとか、急な説明のつかない病気かなとか疑うだろう。でも、このリバプール市民はオートミールが朝食ならとてもハッピーなんだ。その中に溶かすチョコレート・バーがなかったのは残念だったけど。

雪を溶かして今日の水を作った後、山を下り始めた。白山国立公園は広大でもあり、神秘的でもある。あまり道路を歩かなくてもいいように、かなり長い山脈を越えて行く必要があった。高原に着いてから、鞍部までとても急なグリセード(おしりで滑る)をした。すると、すぐに山岳レスキューチームがヘリコプターから降り立った。彼らは僕たち外人3人を救いに来たわけじゃなくて、訓練のために来たので安心した。

それから続く尾根をお昼になるまで登ったり下ったりした。お昼を取っていると天気が悪くなってきた。山から出るための尾根に移らなければならなかった。こういう天気はあまり日本では起こらないとトムは言っていたはずなんだけどなあ。すごく視界が良くないし、どしゃぶりだしで、うざったいとしか言いようのない天気だ。地図とコンパスを持って一生懸命がんばっているのに、僕たちが行きたい尾根はしばらく僕たちから身を隠す。いったんそこに着くと、簡単な、でも滑りやすい道に出て、山のふもとまで下りて行った。

それは、いい思い出になるだろう。僕たちが見た美しい尾根と雪庇。悪い天気でびしょ濡れになっても、山全体が日本の自然の中で経験した最もエキサイティングで、最も楽しめる山だったと証明された。みんな山の中で文句ない日々を過ごすことができた。

510日 木曜

88日目―42km

スミさん、すみません

僕たちは山から出て、きれいな渓谷を歩いて行った。トムは、昨日の夕ご飯が食べられなかったのは、お腹がハト並みに小さいせいじゃなくて、アルプスで食べようとしていたラーメンがものすごい量だったからだと説明しようとしていた。ポールも僕も、別にご飯を無理してつめこんでいたわけじゃないし…。トムは考え過ぎだと思った。

大工さんが僕たちを呼びとめ、英語で話してきた。彼の名前は、スミ。彼は、60年代にイギリスで武術の先生をしていたのだ。その晩、自分の所で泊まればいいと言って、電話番号をくれた。残念なことに、僕たちがキャンプする時になって、彼の電話はずっと話中だった。川のそばのキャンプはまあまあだったけど」

511日 金曜

89日目―42km

大騒ぎのランチ

ポール―「午前中ずっと、山へ入っていく道を登っていた。僕たちが、たった今通り抜けてきた町の景色が美しく見渡せる道だった。その町は渓谷に囲まれ、その上には城があった。小さくてのどかなそうな町で、昼食を取るために休んだ。

ところが、すぐに僕たちは遠足中の20から30人の幼稚園児に囲まれた。ベンは、お昼が終わってとても疲れを感じた。ご飯の間中、僕たちのストーブに子供たちを近づけないようにしていたからだ。幼稚園の先生は、もっと冷や汗をかいていた。その晩は、2.5人用のテントにみんなでむりやり寝た。でも、今回はテントのドアをルーフにしたので、ひとりは少しだけ外にはみ出して寝ることができた。スペースがもっとあれば、もっと眠れるというわけだ。

512日 土曜

90日目―22.5km

だるい午後

今週の休息日を、土曜、日曜、月曜に振り分けた。そうすれば、ここの地形とシャーナのスケジュールに合うからだ。午前中、歩くことに専念し、正午にスーパーマーケットで旅を終了。午後は、やさしい日差しのなか澄んだ川の土手で日光浴、水泳、ボウルダーリング(大岩登り)をしたり、手紙や日記を書いたりして時間は過ぎた。夜は、さっき買ってきた山のような食料を食べた。僕たちにとって「週末イコール食事が良くなる」ということだ。朝食用に見つけた新しいビスケットのことを考えていた。僕たちにとっては、大きな楽しみなんだから!

513日―日曜

91日目―35km

また、泳ぐの?

日曜で一番よく歩いた日。昨日あそこで止まらずに歩きつづければよかったと思った。お昼に、エッグ・サンドイッチをほおばりながら、遥かかなたに見える南アルプスを見つめた。今日で雲のない日が3日続き、暑かった。だから、川で少し休んで、ボウルダーリングをしたり泳いだりするのにちょうどいい感じだった。言っとくけど、僕たちは別に川で泳ぐのが好きとかじゃないんだ。ただ、くさい体をなんとかしたかったんだ!

アルプス登山のためにラーメンを何種類か試食した後、眠りについた。星のちりばめた空の下で、川のそばで、岩の上で。

週のまとめ:月曜、今までで一番高い山へ登る準備をした。白山だ。14番目の山。高さ2702メートル。火曜、霧と雨の中を登頂。水曜、峰を5つ通って山を下りた。それも、霧と雨の日だった。木曜からは、きれいな天気に恵まれ、大きな渓谷を下り、山道をいくつか歩き、いろんな町を抜けてぶらぶらしながら、シャーナ・ティシュラーと僕たちのアルプス登山用具に会いに向かった」

514日 月曜

92日目―16km

Ben, Shana, one of Shana's friends, and Paulロータリー・クラブとの交流

夕方5時にシャーナ・ティシュラーと会ってから、今日という日は始まったようなものだ。彼女は英語の先生で、この2ヶ月間僕たちのアルプス登山用具と家からの手紙を親切に保管しておいてくれたのだ。その夜、シャーナは自分が教えている英会話のクラスに招待してくれた。うれしいことに、ご飯を食べながらだった。

山のような食べ物と飲み物に、夜の11時まで楽しく会話をしていると、照りつける太陽の下を16キロ歩いて中津川入りしたことなどすぐに忘れた。

英会話クラスの生徒は全員ロータリー・クラブのメンバーで、この歩く旅に大変興味を示し、その晩僕達に一銭も払わせようとしなかった。

さらなる日本人の親切を経験し、また、英語の先生シャーナも親切にその晩アパートに僕たちを泊めてくれた。

515日 火曜

93日目―17km

手作り朝ご飯

Members of the Rotary club with Ben and Tomロータリー・クラブの親切は、昨日の晩だけで終わらなかった。1日観光(もしくは、登山口までの車移動)は時間的に好意を受けることができなかったけれど、メンバーのひとりが経営しているコーヒーショップでの朝ご飯はあいがたくいただくことにした。

結果、朝の8時半すぐに迎えが来て、急いで行って、日本風の厚い三角トーストとベーコン・エッグを味わった。それから、最高級の酒、ツナ缶10個、英字新聞2部をプレゼントされ、いつでも必要なときに手助けをするとまで言ってくれた。臭い放浪者から名誉ある客として転身し、違う世界を味わって驚いている。

それから、午前と午後で、アルプス登山用具をパックしなおし、さらに必要のない洋服と装備を僕たちが頼りにしている「東京の男」トム・ジェームズに送った。

午後も中ごろ、文化生活を返上して山に向かう時が来た。15番目の山、恵那山の登山口に向かうのだ。

恵那山(2171m15番目の山)

516日 水曜

94日目―20km

テントにあたる雨音で目が覚め、川に沿っている道を登り始めた。山を高く登るにつれて天気は良くなってきたが、道は悪くなってきた。深い森で解けた雪の上をなんとか歩くこと2時間。雪は歩くたびに足元が沈んだ。

12時半に山頂に着き、近くの小屋でお昼を食べ、シャーナの所で預かってもらっていた手紙を読んだ(みんな、ありがとう!)

山を下りる時45キロも遠回りをしたくなかったので、500メートルの藪の急な斜面を選んだ。45分後、太い竹と戦い、もろい岩の上を転がりながら道路に出た。すぐに、キャンプに適したいい場所を川のそばに見つけた。

517日 木曜

95日目―30km

カップラーメン66個、プリーズ!

飯田市で南アルプスに必要な食料を全部買っていくことにした。今日はまた、たくさんの親切を体験した日だった。僕たちが休んでいたコンビニで、従業員の女の子がチキンナゲットを1箱くれた。それに、この旅について少しだけ僕たちと話をした女性がスーパーマーケットから出てきて、食料の袋を差し入れしてくれたのだ!

飯田市にいる間、45時間かけて南アルプス用に食料を買った(ナッツ、レーズン、バナナチップ、チョコレート、ビスケット、おかゆとカップラーメン66個!)通りがかりの人たちから、好奇のまなざしを向けられた。

町から出てキャンプできるところを探している途中で、物をよく壊すトムのサンダルが片方だめになった(1000kmも歩いたからね!)。

518日 金曜

96日目―41km

山道へ…

The wonderful Kazuko Onishi僕たちが起きるとすぐに、ベンはビールの自動販売機にこそこそ近づいた。前の晩、ビデオカメラのバッテリーを充電するために、自販機の電源を抜いていたのだ。それから、お母さんとお父さんに電話をして、コンピード社から援助を受けられる可能性があるという吉報を聞いた(彼らの靴ずれ用パッドは、お金で買える最高の物さ!でも、僕たちにはそのお金がないんだけど…)。シャープからも、援助が受けれるらしい(スポンサーのページを参照)。

長くて暑い山道を上がったところで、オオニシ・カズコという素敵な女性が、自分の喫茶店でコーヒーとサンドイッチをごちそうしてくれた。彼女の明るさで僕たちを励ましてくれて、僕たちがやっていることにとても興味を示してくれた。

歩き続けると、ものすごく荒れた道路に出て、倒れた木の下をくぐったり、恐る恐る大きな土砂崩れのところを越えた。登山口の近くでキャンプを張って、土曜日は1日中休もうと考えていたけど、なかなか前に進まず、暗くなったのでキャンプをしなければならなかった。燃料を使わないで取っておくために焚き火で料理をした。

519日 土曜

97日目―9km

気楽な1日と、これからのこと

Ben lowers himself into the derelict tunnel再びキャンプファイヤーをしながらゆっくり取った朝食は、その日のいいスタートになり、ほとんど忘れられている谷を少し歩いた。道路は、土砂崩れにかなり飲み込まれていた。ある場所など、ほとんど埋まってしまったトンネルの中を這って進まなければならなかった。

切り立った斜面と大きな岩石に囲まれた川辺でテントを張り、リラックスしたり、洗濯したり、山の中で長期に過ごすことに僕たちが耐えられるか考えたりした。

今日起こった最大の出来事は、トムが川で水浴びをして、素っ裸で帰ってきたことだ。「ワオ!裸の男だ!」とポールが叫んだ途端、トムはパンツはどこだとポールとベンを怒り出した。でも、彼らは本当はいい子だし、その見世物を長引かせようという気は全くなかった。

それから捜索が始まり、川の中の木にくっついているパンツが発見された。目の前にアルプスが迫っていたので、夜は早く寝た。

光岳(2591m16番目の山)

520日 日曜

98日目―19km

The tree-covered peak of MtTekariこれがアルプス

土曜の夜は、動物が大暴れだった。その晩、岩棚の下で眠っていたトムはネズミにかまれた。また、吊るしてあった食料からアライグマかキツネのようなものを追い払わななければならなかった。1番早く起きて朝食を作ろうとして、オートミールが川まで点々と続いているのを1番最初に発見したのもトムだった。

オートミール三分の一に加え、ポールの朝食用ビスケットと今日のお昼が、テントのフライシートの下から引きずり出されていた。ずるがしこい動物が大喜びで持っていったのだろう。さんざん文句を言った後(ポールは自分たちが、ばかだったと思っていたけど)、少なくなったオートミールで力をつけて、アルプスへ最初の一歩を踏み出した。

山道は、1400メートルくらいのところまで森の中をまっすぐ抜けていた。この1週間ぐらい僕たちの「家」になるであろう尾根に着いて、バックパックを下ろし南に歩いた。空は晴れ、季節も終わりの雪(湿っていて大体溶けている)の上を歩き、4キロ先にあるアルプス1番目の山頂に向かって行った。

今日は2つのことが明らかになった。予想していたより木が多いということだ。あと、木と雪をかき分けていかなければいけない分、時間も体力も使う旅になるだろうということだ。でも、今日はいい日だった。大きな山のすばらしい景色で始まり、心地よい乾いたキャンプサイトで1日は終わった。

聖岳(3013m17番目の山)

521日 月曜

99日目―16km

The summit of Hijiri-dake今日は、映画のワン・シーンに出てくるような富士山を遠くに見た。初めて3000mの山を登った。木と雪を抜けるのにものすごく苦労し、文字通り1日中登ったり下ったりしていた。全部で山4つと山のできそこないをいくつか登った。どこまでも果てしなく続くかと思われた長い急なじゃり道を登った後、聖岳山頂でちょっとだけばてた。また、景色がきれいな日だった。そびえ立った2つの山頂にはさまれた鞍部でキャンプすることになった。

赤石岳(3120m18番目の山)

522日 火曜

100日目―14km

Paul hangs on lest he's blown away天候はとても悪くなり、キャンプをたたんだ途端、霰が降り始めた。赤石岳に登る途中風がとても強くて、ベンは登山の様子をビデオに取っている時に後ろに吹き飛ばされた!

今日は、山を2つ登りたかったが、この風、この雪の状態、この木の多さでは無理なことだった。その日の終わりに、開いている小屋を見つけて、その中で眠ることができたのはラッキーだった。でも、多目的フライパンでドアをこじ開ける必要があったけどね。

小屋に入ってから、地図がないのに気がついた。たぶん、尾根から何キロも吹き飛ばされてしまっているだろう。そこからは、持参した2つのガイドブックに載っている、かなり大ざっぱな地図を頼りにしなければならなかった。(この時すでに、カメラは動かなくなっていた)

悪沢岳(3141m―19番目の山)

523日 水曜

101日目―18km

目が覚めると、昨日の霰と風は霧雨になっていた。バックパックを小屋に残し、悪沢岳に向けて出発。1時間、尾根を歩いたり這い登ったりした後、山頂に着いた。カメラが動かなかったので、証拠写真は取れなかった(僕たちの言っていることを信じて!)。小屋に戻った後、広い雪の大地を下り始め、長い道のりを経て木のあるところに来た。森の中に入ったら道に迷ってしまって、次の山へ行くルートを探すのに2時間もかかってしまった。正しい尾根を見つけると2800メートルの山まで急な道を登り、そこできれいなキャビンを見つけ、夜はその中で過ごした。

塩見岳(3047m20番目の山)

524日 木曜

102日目―15km

僕らは、ホテル・ヒルトンのようなスタイルの小屋を出て、ちょっとだけ良くなった天候が続けばいいと密かに願った。時々、山や山道の景色を見られるくらいの天気になったけれど、ほとんど霧と雨の中を歩き続けなければならなかった。午後遅く、塩見岳の危ない急な尾根を登った。これは、僕たちの旅で20番目の山だった。頂上に着くと、雲が僕たちのために割れて、悪い天気が5分間休みを取ってくれたおかげで、僕たちは元気になれた。これは、南アルプスの中でトムが好きな登山だ。

その後は、じめじめして、ものすごい霧になった。深い森に包まれた尾根を下り始めた。だんだん標高が落ちていくので僕は心配になってきて、地図を何回か確認したり、悪い天気の中で休んだら、僕たちが行きたかった尾根は谷の向こう側に平行に走っているのが分かった。その尾根になんとかたどり着き、初めて雪の中でキャンプをすることになり、テントの中で仲良く3人丸くなった。

間ノ岳(3189m21番目の山)

北岳(3192m22番目の山)

525日 金曜

103日目―16km

とても嫌な天気が3日続いた後、青空が現われ広大な山脈の景色が見えたら、やる気が出た。冷たくて濡れたブーツも履けるし、目の前に見えるすばらしい尾根を渡り、2つの山を目指して歩いて行ける。2番目の山は、日本で2番目に高い。

間ノ岳の山頂で昼食を取り、装備を広げ太陽の下で乾かした。その後で、すばらしいNorth Peak北岳を登り、そこから振り返れば僕たちが旅してきた南アルプスの尾根全部を見渡せた。

次に登る山は離れた尾根にあるので、高度を下げなければならなかった。2000メートル下りて、開いていた小屋で夜を過ごした。

鳳凰山(2764m2840m2780m23番目の山)

526日 土曜

104日目―20km

睡眠を取った後、どれだけ回復するか目を見張るものがある。元気に満ち溢れるということではなく、前の晩苦痛に感じていたことが簡単にやれてしまうのだ。

谷まで短時間で下りて行ったが、前の晩ならとてもつらかったことだろう。尾根の端にある村は、建物が2つあるだけだった。どちらも開いてなくて、プラグもなかった。ないだろうなと思っていたけれど、カメラのバッテリーを充電できればと思ったのだ。

次にある2つの山の尾根には行かないことにしたので、バックパックを登山道の入り口に置いて、バッグひとつと最小限の装備で山に入った。バックパックなしで山に入るのはとてもいい気持ちだ。ペースは早くならなかった。この時点で、みんな肉体的にきつく感じていた。大きな尾根が大変だったのだ。森には雪が少なく、山頂にはまるでなかったので良かった。その代わり、そこはごつごつした花崗岩の石の塊と砂の世界だった!

僕たちのガイドブックでは、どの山頂が百名山なのか分からなかったので、運が良いのか悪いのか、その日会った人たちに聞いた。すると、鳳凰山は3つの山のことを指すのだと分かった。今日はかなり簡単な登山になると思っていたのに、急に狂ったように登ったり下ったりする日になってしまった。その中の1つに花崗岩のオベリスクがあって、山登りに花を添えていた。

日が暮れるとき、みんなとても疲れていたので、食べるのもキャンプを立てるのもすごく苦痛だった。ベンの水ぶくれは、ますます大きくなり、トムの足首はブーツを履くのに大きな障害になり、どんな動きをしても痛かった。少なくとも、天気だけは良かった。

甲斐駒ケ岳(2967m24番目の山)

527日 日曜

105日目―16km

食料は少なくなり、体は疲れ果てていた。テントはぎゅうぎゅうで、雨も降っていたので、窮屈で蒸した夜を過ごした。ひどい夜だった。

午前中、最後の2つの山の間にある山道に向かって10キロ歩いた。僕たちは、静かに歩き、それぞれ心の中で今日アルプスを出るべきか、それとも最後の2山を何とかやっつけてしまうか、という問いに頭を悩ませていた。

2時間歩いてもその問いに答えは出ず、ただ雨が僕たちの体を冷やした。しかし、山道の小屋が開いているのを見つけてから一気に状況は良くなって、そこで10分暖を取り、そこで宿泊しなくてもご飯を食べていいと言われた。

食べ物の問題が片付き、2つ山を登ってから下りたほうが、後からまた帰ってくるよりは楽だということになった。僕たちは荷物をすべて置いて、今日もまた1つのバッグで行く。本当にうれしい。

トムはまだ寒い甲斐駒ケ岳を、初めてサンダルを履いて登った。足首がすごく腫れてブーツが履けなくなってしまったのだ。運のいいことにそれほど雪はなく、雪の上についている足跡をたどって石だらけの尾根にすぐ着いた。ここも、山頂に向かう道は石と砂の変な場所だった。今日に限って、山頂にしつこい雲が居座っていたのであまり何も見られなかった。でも、雨は降っていなかった。

帰り道はずっと、用意されている食事のことを考えながら下りた。その晩は、また日本人の親切を見せられた。食事はおいしく、小屋は暖かく、主人と奥さんは信じられないくらい親切だった。その日は、始まった時より楽観的に終わった。

仙丈ケ岳(3033m25番目の山)

528日 月曜

106日目―16km

仙丈ケ岳を登る山道は北の尾根だったので、80パーセントくらい雪に隠れていた。一晩2センチの雪が降ったので、山の世界は冬だった。今日もまた、トムはサンダルだ。

尾根からの景色は、最高だった。北岳の方を向くと、南アルプスの大きな尾根

が南に向かって伸びていた。昼食を取るために山頂で休み、ちょっとだけ日光浴をした。

小屋に戻ると、そこを経営している女性が僕たちの足の状態にショックを受けて、親切に洗ってくれて、包帯を巻いてくれた。彼女は、驚くほど親切だったので、南アルプスを出る谷を下りる時、彼女にさよならを言うのはつらかった。

529日 火曜

107日目―27km

文化生活に帰る

川の土手で張っていたキャンプを片付け、残っている食料を食べて、12キロ先の村を目指して歩いた。お店に入るってことは夢のようなことだ。ピーナッツ、ビスケット、ラーメン以外の食べ物が買える時はね!

バス待合所の中で宴会をした。それから、10キロ先の町に歩いて行って、宴会の続きをした。

とても寒かった日々を過ごした後で、照りつける太陽の中を歩き、伊那市で川のそばにキャンプできる所を見つけた。そこで、もっと食べ物を買い、彦根へ戻る電車の時刻をチェックした。

530日 水曜

108日目―12km

とうとう、彦根に帰るんだ

僕たちは疲れ、いい食べ物を楽しみにし、登山を休むのを心待ちにしていた。すごい量のビスケットとパンとホットチョコレートでお腹を満たし、12キロ歩いて、中央アルプスのふもと付近にある小さな電車の駅まで歩いていった。

10時にはベンチに座って7時間の列車の旅が始まるのを待っていた。外国人登録をしたり、体を休ませるために彦根に帰るのだ。ポテトチップスと、ナッツ、果物、それに一番安い酒3.5リットルを用意していた。僕たちは、リラックスし、気分がよくなってきた。

途中、この旅はおもしろいことになった。最初の乗り換えでトムがチームの財布と切符を前の電車に置き忘れのだ。

想像してみてよ。破けたズボンはいて体中汚れまくってるひげ面の男が、両手を大きく振りながら電車追っかけているところを。

財布を取り返しにちょっとした探索に出かけたので、2時間この旅は長くなった。僕たちを迎えてくれたティムとは夜7時半に会い、彼の家に案内され、そこではキャットが山のようにカレーを作って待っていてくれた。文化生活で友達と再会するのはとてもうれしい。

531日 木曜

109日目―500メートル!

合法外国人。こんなに簡単。

これは夢じゃなかった。畳の上で目が覚め、ティムが仕事に出かけてからビデオデッキの電源を入れ、「ウィロー」を夢中になって見た。外国人登録証をもらうために、500メートルほど移動して市役所に行った。「今度は、どんなむずかしいことがあるんだろう」と思いながら。

何人かの職員が僕たちを指差したり、じろじろ見たりした後(他でもない僕のでかいカーリー・ヘアのせいだろう!)、きれいなピンクのカードを渡された。質問はなし。手数料もなし。ただ、小さなピンクのカードを渡された。

予想していたよりずっと外国人登録は難しいことが分かったけれど、とにかく終わった。少なくとも10月まで心配ない!

それから、Eメールを少しやって、夕方はお好み焼きの準備をして食べた。お好み焼きとは、豪華なオムレツみたいなものだ。キャットの料理のおかげで、心地よい満足感を得て、僕たちは食べ物を消化したり、友達を楽しく過ごしたりする以外の事はしたくなくなった。

この旅で出会ったティム、リン、キャットのような人たちの親切と支援は、間違えなく僕たちを支えてくれている。おかげで、ここでの目的を達成できると信じることができる。僕たちを受け入れて、愛と親切を教えてくれたみんなに、もう一度ありがとうを言いたい。心から感謝しています。

各月ごとの日記―

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