日記-11月

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11月1日 木曜

263日目-36km

こんにちは、はじめまして

Tom, Shane, and Benベン-目が覚めて、やはりいいキャンプサイトだと思った。

僕達は、青森県で最も東に位置する半島の西側にいた。他の二つの半島とこれから向かおうとしているこの半島の先っぽが見えた。

歩きながら、このトレックのことを話した。「これって、やってる価値あるかな?」全員が「あるさ」といえる理由を知っていた。

日が暮れる頃、空模様があやしくなり、土砂降りになった。一台のダンプカーが通りすぎ、僕は全身、ポールは下半身がびしょ濡れになってしまった。暗くなっても、僕達は、今日二件目に見つけたスーパーマーケットの外で立ちつくすより他にしょうがなかった。雨は依然として降りつづけ、シェ-ンの家へ行く道を辿っているはずが、いつの間にか道に迷ってしまった。ハッチ(ここでも助けられた!)から前にシェ-ンの番号をもらってはいたのだが、事前に僕達が泊まってもOKかどうかは確かめられずじまいだった。したがって、僕達はまたしても知らない人に突然電話して、家に上がりこみ、テレビを見て、シャワーを汚してもいいかどうか訊ねなければならなかったのだ。そして、ここでもまた赤の他人が僕達を家に招き入れるために、わざわざ助けに来てくれた。

シェ-ンは僕達をスーパーの外で拾って、雨のなかから連れだし、暖かくて乾いた部屋で一晩を過ごさせてくれ、翌朝、僕達を送り出してくれた。そして、シェ-ンが前回帰ったときに録画してきたアメリカのテレビ番組を見ながら、食っちゃあ寝るだけの極楽な夜だを過ごした。

11月2日 金曜

264日目-45km

本州最後の日

ベン-今日が重要な一日になることはみんな承知していた。明朝7時のフェリーに乗るためには、どうしても港に着いていなければならなかったからだ。

長い一日だった。トムにとっても、ハリーポッターの第一巻を読み終えるのに十分長かった。寒い日で、僕とトムはお昼に卵サンドを食べながら、ポールが横でラーメンを作るのを羨ましい思いで眺めた。一日中、2、3枚重ね着しなくちゃいられなかったし、(好印象を与えるのに最適な)僕達のトレードマークの半ズボンもだめで、日が暮れてから、ズボンをはいてしまった。

寒さから逃れて、海辺のこじゃれたトイレで小休憩した後、夜になってからも歩いた。月が照明灯に似ていた。その金色の光が次第に明るくなり、空高く伸びていくようだった。8時前に、港から700メートルのところにキャンプを張った。

11月3日 土曜

265日目-13km

北海道に渡るフェリー

Hokkaido ahoy!トム-7時半に出航する予定の北海道行きフェリーに乗り遅れないよう、5時15分に目覚ましをセットした。日の出が見事だった。港までは、イカ釣り漁船を横目にちょっと歩く距離だった。乗船中、ポールはログの執筆、ベンは一時間の仮眠、そして僕自身はハリーポッターの第二巻を読もうと思ったけど、とても集中できなかった。フェリーは函館という港に向かっていた。僕が1980年から1986まで通っていたチェフースクールがある七飯町から南に15キロのところにある港町だ。フェリーのデッキから、函館山や子供時代にみたランドマークのいくつかが見えた。

フェリーから降りるときに函館日日新聞の記者に話しかけられた。短いインタビューを受けてから、雨のなか七飯町に向かって歩きはじめた。七飯では、僕の両親の友人であるヘイマンズ一家と会うことになっていた。七飯は、この15年間で僕がいた頃とは随分変わってしまい、僕はどこをどう行けばいいのか、ちょっとばかり困ってしまった。ヘイマンズさんとは学校で落ち合い、彼らの家まで車で連れて行ってもらった。

The generous youth group着くやいなや、おいしい昼食をごちそうになり、豪華なログハウスでのんびりした午後を過ごさせてもらった。それから、(東京会議であった)ジャックという男から超巨大な小包が届いているのを知ってとても喜んだ。ジャックは天狗フーズという会社を経営していて(スポンサーのページを参照)、箱の中にはオーガニック・シリアル、パン、チーズ、ビスケット、豆、パスタ、さらにはビールがぎっしり入っていた。これらはみんな、北海道の寒さと戦うために大いに役立ってくれるだろう。

夕方、七飯教会を訪ね、そこで若い人達のグループに会った。ミーティングの最後に僕達が長野で参加したプログラムのビデオ(この旅とチャリティーについて)を見てもらった。その後、子供達が献金を行って、そのお金をチャリティーに寄付してくれることになった!全部で約15,000円だ。

ヘイマンズさん宅に戻って、僕達はシャワーを浴び、洗濯をして、居心地のいいベッドですぐに眠りについた。

11月4日 日曜

266日目

チェフー再訪

The church serviceトム-みんな7時過ぎまで寝坊した(今回のトレックでした数少ない朝寝坊のうちのひとつだ)。朝食には天狗フーズからもらったオーガニックコーンフレーク(僕が食べたなかで最高にうまい)を食べた。お腹がいっぱいになったところで、僕達は教会に向かった。礼拝は(言うまでもなく)日本語で行われていたが、ロビンが僕達のために通訳の大役を買って出てくれた。礼拝の最後に、僕達は自己紹介、この旅とチャリティーについての説明を求められた。教会の人達がこのチャリティーに協力してくれることになり、約60,000円の寄付が集まった(なんと!!!そのうちの10,000円は日曜学校に来ていた5歳以下の子供達からだった)。

Tom and Yamaguchi-san礼拝のあとは、教会の人達と食事をした。その中にチェフーで長年働いている山口さんという女性がいた。僕の子供時代の軽率ぶりをメンバーにさんざん話していたことが明らかになったが、彼女とのおしゃべりは楽しかった。僕達はもう一人の牧師の息子(実はポールも僕も牧師の息子なのだ)に会った。ピーターといって、日本人女性と結婚して地元の高校で英語を教えている。礼拝の後、彼の電気/ガソリン自動車で、(北海道で一番大きいくるみの)木を見に連れて行ってくれた。新道建設のために切り倒されるところを彼が救ったのだそうだ(正真正銘の環境戦士だ!)。

Ben in the biggest chestnut in Hokkaidoそのあとで、チェフースクールの校庭にあるもうひとつの変わった木をポールとベンに見せてやることにした。ドライブの上にあるカバの木のなかに、幹の部分がくっきりと帯状に変色した木があるのだ。これは20年前に僕が皮をむいてつくった傷跡だ(このことで僕はすごくしかられて、記憶が正しければ人殺し~!なんて呼ばれたっけ)。僕達は学校に入って、ちょっとだけ中をのぞいてみた。教室を眺めてたらいろいろなことが思い出されたけど、子供達の遊ぶ声が聞けなかったのがさみしかった。

ヘイマンズ家へ戻ってから、日記をつけ、食料の荷物を整理し、北海道行には何を持って、何を置いて行くかを決めた。夜は、ハイウッズ一家、教会で会った二人の男性(服部さんと伊藤さん)、キムさんという以前は教会で働いていた韓国人女性といっしょに、おいしい夕食をいただいた。ヘイマンズ家での滞在は本当に素晴らしく、ここから利尻までの間に僕達を待ちうけている苦難の前の休息としては十分すぎるものだった。

11月5日 月曜

267日目 27.5km

最終行程のはじまり

The Haymans with Ben and Paulポール-時間どおりに起きたのだが、素晴らしい朝食、楽しい会話、飛行機のチケットの確認に結構時間がかかってしまった。僕達が天狗フーズ(スポンサーズページ参照)の親切で提供してもらった、袋いっぱいのおいしくて健康的な食料を手にヘイマンズ家を後にしたのは、午前10時のことだった。

スタートを切るにはからっとして、かなり暖かい日だった。3人とも昼飯まで、読書に夢中になっていた。短パンをはいた3人のガイジンが本を読みながら幹線道路をうろついていたなんて、さぞかし異様な光景だったにちがいない!

昼食後すぐに雨が降り始め、その日はもう降参して、閉まっていたみやげ物屋の裏の軒下で雨宿りしたが、雨はなおも降り続いた。そんなわけで、北海道第一日目が終了、一日40キロのノルマを達成できなかった。いっぽう嬉かったのは、マリーからの週末に合流するかもというニュースだった。

11月6日 火曜

268日目-45km

時計はチクタクと音を立てつづける

Cloud viewポール-昨夜は、完璧に体力が尽きてしまったような気がして、また一日に40キロ歩けるかどうか真剣に考えてしまった。でも、これは時間の問題だ。つまり、床の上の山に崩れ落ちるよう叫んでいる頭を無視すればいいのだ。今日みたいに6時までに出発すれば、かなりの距離を進んで6時(あるいはその前)に終了できる。昨日のように10時に出発すると、一日がんばって歩いてもまったく進んでいないような気になる。不幸にも(あるいは、ありがたくも)一日一日がこのウォーキングをささえているわけなのだが、このコンセプトは、今日までわたしの頭で理解するにはとても難し過ぎた。最高でも39日しか残されていないとなると、その日その日の大切さが僕達に重くのしかかっている。それはまるで、北海道の細長い首のあたりの海岸沿いを北上する僕達を、三方から取り囲む山々に貼り付いた雲のようなものだ。

トムがセブンイレブンのごみ箱のなかから、小さいけど高級な拾いものをしたので、僕達は安ぴかのバス停でそれを喜んで食べた。その日のことはあまり思いだせない。僕はほとんどをアメリカの訴訟物と格闘して過ごした。トムとベンはホグワーツ魔法学校で世の中の正常化に勤めていた。

11月7日 水曜

269日目-45km

アヤに会う

The team entertained by Ayaベン-今までで一番寒い朝、でも暖かい寝袋から這い出して、身震いしても見る価値のある眺めだった。早朝の太陽は雪の降り積もった遠くの山々の尾根を燃やしているように見えた。

みんなでしゃべっているうちに、朝はすぐに過ぎてしまい、僕は新種の隠れ家-ハリーポッターに引っ込んだ。みんながみんなこのお話を読んでいるため、会話のはしばしに、誰が悪者かがでてきた。ハリーを読んでいる人には分かると思うけど、僕達3人ともハグリッド(ヒゲも頭ももじゃもじゃの巨人)と化しつつあった。

日が暮れはじめたとき、アヤからまた電話があって、その夜15キロ先で彼女と落ち合うことになった。僕達はラストスパートで駅までたどりつき、彼女のために夕食を作った。彼女は、地雷除去のための募金と広報を目的とした僕達の旅を何かで読み、僕達に会って、一日一緒に歩いてみたいと思っていたのだそうだ。彼女はとても楽しい子で、僕達を大いに元気づけてくれた。結果的に、夜更かしすることになってしまったけど。(寝たのは10時を過ぎていた。)

11月8日 木曜

270日目-40km

あなたをもっと知るために

Ben, Aya, and Paulベン-僕達の荷造りが終わるまでに、アヤが昨晩泊まったB&Bから戻ってきたので、さっそく出発した。午前中は、いつもどおり、お互いのことを話しているうちに終わってしまった。その後は、僕が新しい日本語の単語を覚えたがったので、アヤは忍耐強い先生に徹してくれた。ある町を通りかかったとき、小学生くらいの子供が何人かくっついてきて、山歩きの怖さを教えてくれた。子ともたちは、多分8歳くらいでとても面白かった。アヤは30キロ位僕達と一緒に歩いた。そして、3人で彼女を駅のそばまで送って行きサヨナラをした。それは、僕達がこの旅から帰ってきたときに、とても大切に思える思いでのうちのひとつとなった。

羊蹄山 1898m-92番目の山

11月9日 金曜

271日目-21km

Paul in thee forested lower slopesトム-深夜、トイレに行くトラック運転手にたびたび起こされたにもかかわらず、3人ともわりとよく寝られた。

7:30までには荷造りを終え、マリー・フェニー(群馬の!)との待ち合わせ場所へ向かって歩いていた。マリーは車を運転し、電車を乗り換え、さらにモノレール、飛行機に乗り、しまいにはタクシーまで使った悪夢のような長旅の末にやっと僕達と再会することができた。開口一番、『ここまで来るのにかかった時間でアメリカまで行って来られたわ』と彼女は言った。さらに運悪いことに、3時間しか睡眠をとれなかったらしい。(雨の中ベンチの下で寝たにしては悪くないと思うけど)

羊蹄山の上りは樹木の茂る低い斜面をとおり、僕達はそこでこの冬の初雪に遭遇した。高く登るほど雪が深くなり、そのせいで道は険しくなっていった。雪で覆われた潅木が特に密集したところを押し分けて進んだ後、僕達は潅木のない小さな渓谷の窪地を進むために近道をすることにした。窪地に着いたときにものすごい強風に見舞われた。最も高い地点まで行くためにはへりの辺りを進まなければならなかった。またしても雲のせいで、何にも見えなかった。

A rather cloudy wade through snow帰りは小渓谷を元気良く歩いて下りた。雲が晴れたところまで下ってくると(臼山が噴火してなければ!)よく家族旅行で行っていた洞爺湖などまわりの田舎の素晴らしい景色が見えた。ふもとまで戻ると、僕達はあずまやをみつけてそこに座ってマシュマロココアを飲んだ。ベンはなんだか面白い米料理を作っていた。8時までにみんなぐっすり眠りについた。

マリー-昨日は学校をこっそり早退してきたのに、町を出るときに副校長とすれ違っちゃった。一本道しかない村ではありがちなことだ。自動車、新幹線、地下鉄、モノレール、飛行機、さらにまた電車を乗り継いだ。この骨の折れる旅の末、やっと北海道に着いたのは午前12:20、閉鎖後の駅だった。わたしがさっそく女子トイレの障害者用個室で居心地のよい夜を過ごそうと落ち着いたところへ、駅長が入ってきて、あっけなく追い出されてしまった。午後1時、雨の降りしきるなかベンチの下へもぐりこみ、どうせダメだと思ったけど、少しでも眠ろうとがんばった。

The peak of Yotei今日は5時起床。ニセコまで1両の電車に乗った。がっかりしたことに、12時間以上の移動後、チームから10kmと離れていないところにいるのに、間違ったバス停にいることに気がついたのだ。明らかにこのお涙ちょうだいの話しがタクシー運転手の琴線に触れたらしく、3,000円のタクシー代がなんと1,000円になってしまった!

ベン、ポール、トムとの再会。2ヶ月たっても変わっていたのは服とひげくらいのものだった。わたしたちは、ちょっとおしゃべりして、着替え、荷物をまとめてすぐに羊蹄山への道を行進した。

羊蹄山の上半分は見事な雪の層で覆われていた。木々は氷の薄い膜をため込んで、神秘的で穏やかな風景を作り出していた。頂上から500メートルくらい手前で、わたし達は道を見失ってしまい、雪に覆われた平原を登っていくことになった。風と深い雪のせいで登頂は遅れた。そしてわたし達が苦労して登ってきた成果を証明するのも真っ白い写真だけだ。下りは上りよりもはるかに楽しかった。わたしたちは、歩く、はねる、転がる、スキーする、滑る、そりで行く、落ちる、すべてやってみた。

羊蹄山のふもとに戻って振り返ってみると、空が晴れ、日が沈み、わたし達は月の反射の中に雪を頂いた山々の永遠なる美しさに息を飲んだ。羊蹄山は素晴らしい山だ。ここまで来るのにかかった時間を考えても見にくる価値のある山だと思う。その夜はとても寒かったけど、トムとポールが気前よくダウンジャケットをわたしに貸してくれた。なかに着たそのダウンの重ね着のおかげで、わたしのスリーシーズン寝袋はフォーシーズンにグレードアップした。

11月10日 土曜

272日目-38km

道歩きの経験

Paul and Ben walk with the sunny Maryトム-マリーはすでに僕らと一緒に4つの山に登っていた。そろそろ道歩きの経験も必要だ。いつもと同じく、車は轟音を立てて通り過ぎ、作業員にじろじろ見られたり、犬にもほえられる。でも、道歩きの退屈さも、羊蹄山の息も詰まるような美しさ、素晴らしい天気、(僕らの話を全部聞いていない)新入りの話し相手のおかげで随分楽しくなった。

一日があっという間に過ぎた。(木曜日に一緒に歩いた)アヤから電話をもらった時にはかなりましになっていた。その他に、僕達が通り過ぎるのをみかけたレストランのオーナー(僕達の記事を新聞で読んでいた)がチャリティーに5,000円の寄付をしてくれた。その夜は道端のすごい大きなログハウスのベランダで寝た。

マリー-今朝は、快晴の空と日差し、そしてもちろん羊蹄山の素晴らしい眺めで目が覚めた。北海道に来てから一番いい天気だとポールが言っていた。今日のこの日差しをみて、この4日間好天を願ってお祈りし続けた成果だと思った。神様はわたしを見ていてくれたのね。

The view back to Mt Yotei一日中歩き通しということは、彼ら一人一人と話す時間が数時間ずつあるということを意味する。もちろん話すネタはありあまるほどあった。ポールのぴか一のひげの伸び、AAR、ハリーポッター、ベンの足首、政治ネタ、日本でのトムの少年期、などなど。でも、9ヶ月間一緒に歩いてきた彼らがいまさらお互いに何を話すのだろうと考えずにはいられなかった。

40キロ歩くというのはなかなかしんどい。けれど夕方になるにつれて、幹線道路の長い道のりを歩く精神的なしんどさは、体力的なしんどさよりももっと激しいことを思い知った。時間や距離、歩数を数えることで気が狂いそうになる人の気持ちがよく分かる。これはベンに言われたことだけど、一番つらいのは最後の2キロだ。みんな口数が急に少なくってくる。でもわたし達のエネルギーと精神力は、暖房のきいたトイレと、あったかくておいしいラーメンで見事よみがえった。

11月11日 日曜

273日目-44km

さよならマリー

ポール-僕は1組のいいスニーカーこそが歩くのによいものだと常々思っていた。しかしながら、マリーのよく履き込まれたスニーカーは文字どおり、彼女の足を食べてしまったのだ。ちょっとした山道を超え、勇敢にも湖を一周し、トムがスキーを習った山を越えたところで、マリーは水ぶくれがいっぱいの足を僕達に見せた。とっくに言ってくれればよかったのに。彼女が空港行きのバスに乗って行ってしまうと、僕達は仕方なく夜の自転車道路を歩くこととなり、そしていつもと同じ退屈さが霧のように重くのしかかってきた。

なんでこんな木にかこまれた道を夜になってもレースしてなきゃならないんだ?なんでベンは『水場を見つけるまでに、たっぷり15キロは歩かなきゃならない』なんて言ってるんだ?なんで水があるときにゲットして、僕達の距離レコードを今やぶらなくてもいいことを、事前に考えなかったんだ?どこかで後悔する前に、いつかは考えることができるようになるのか?

地図を見ると、幸運なとこにベンが予測した15キロのかなり手前に川があることが分かった。」

マリー-晴れてからっとしたお天気の日は、とってもよく歩けたし、頬が少し日に焼けたけど、そんないい天気の日には、とっても寒い夜が待っていた。今朝、わたしたちはホットコーヒーの恩恵で目を覚ました。うまい具合に置くと、体じゅうをあたためることができるからだ。山道を抜け、羊蹄山を最後にもう一度拝んでから、美しい湖に沿って歩いた。30キロを歩いたところで、みんなにお別れを言い、バス停までヒッチハイクした。バスに乗り込んだ途端、自分がどんなに疲れていたのかがわかった。だから、バスが空港に行く途中で、ベンとポールとトムを追い越したとき、少しほっとしたのをわたしは否定できない。明日の今ごろは、もう40キロ歩くこともなく、30人の13歳の生徒達に授業をしてるんだ。

この北海道での3日間の冒険で、彼らが毎日どんなに退屈し、苦労しながら歩いているのかがわかった。チームはいま時間との勝負を強いられ、なおかつ雪と悪天候のせいで安全に旅を続けるのがより大きな課題になっている。来る日も来る日も、朝の5時から夜の8時まで、道路のわきをとぼとぼ歩くのに必要とされる、そのやる気と献身ぶりといったら並大抵のものではない。トム、ポール、ベンへの尊敬と賞賛を言い表すことはできないと思う。しかし、なによりも彼らがその冒険の最終行程を終え、無事に温かくて、くつろげる家族の元へ帰れることを(または柔らかいベッドで10時まで寝坊できることを)とても楽しみにしている。

11月12日 月曜

274日目-40km

洪水、飛行機、蹄鉄工

Paul and Ben getting some free tastersポール-実際に洪水にはならなかったが、今朝の雲はかなりがんばっていた。うっとうしい霧雨の朝に始まり、自転車道路を歩き終え千歳市にさしかかる頃には冷たい雨になった。どうやらマリーは、きのう群馬に帰るときに、彼女の天真爛漫さといっしょに太陽も連れていってしまったみたいだ。

買い物をするふりをしながら、試食コーナーで翌2時間を過ごしている間に、その大きな積乱雲が移動し、そこには夥しい数の戦闘機が轟音を立てて飛んでいる映画のような空が広がっていた。僕達は千歳国際空港を通り過ぎ、さまざまな種類の飛行機が頭上を飛んでいくのを眺めながら、楽しい時間を過ごした。空港から左へ曲り、ホースカウンティに歩いていくと、通りかかったニュージーランド人の蹄鉄工に(短パンを履いていたせいか)『寒そうだな』と声をかけられた。僕達が何をしてるのか確かめよう思ったらしい。

夕方の寒さのなか、ベンは電話番号を聞くために何人もの友人に30分くらい電話をかけまくった。キットを送る許可をもらうためと、キットを送ってくれる友達に住所を教えるためだ。僕達の悪臭を放つさまざまなキットが必要な場所に送られるよう手配するには、ちょっとしたロジスティカルな感覚を必要とした。

11月13日 火曜

275日目-44km

作り話でもしましょうか?!

ベン-今日は何も面白いことがなかった。道は凍っていて、僕達は長い距離を歩いた、少なくとも長い距離に感じられた。料理をするのに十分な燃料がないとポールが気づいたときには、もうかなり暗くなってきていたので、トムが走って前の町まで戻った。僕達は大きな黄色いバスの待合所で休憩した。そこには最高に素晴らしいご馳走が僕達を待っていた。僕が食べたいものが全部あった。ローストビーフ、ローストチキン、ラムチョップ、ソーセージ・サンドウィッチ、フィッシュ・アンド・チップス。食べている間は、美しいダンサーの女の子達が僕達の痛む足をマッサージしてくれたりもした!あぁ、なんて想像力!

11月14日 水曜

276日目-49km

へんぴな村&熊の足跡

ベン-バス待合所でのうるさい夜にがまんできず、トムはもう少し静かな寝床を近くの小屋のなかに見つけてきた。けれど、ポールと僕はあいかわらず不潔ですきま風の入るバス停に落ち着いていた。人里から離れる(幌尻への登山口へ入る)前に小さな村でお昼を食べた。そこにあった小学校の副校長が僕達に会うために出てきて、彼の奥さんのところへ連れていってお茶(緑茶)をごちそうしてくれた。岡田夫妻はとても親切にしてくれて、山からの帰り道にはまた立ち寄るように僕達に約束をさせた。

その夜は、次の山へと続くでこぼこの道をさらに20キロ以上歩いた。キャンプを張った時には、すべてが凍りついていた(気温は約マイナス6度)。僕達のテントからちょうど1メートル離れた雪と氷のなかに、巨大な熊の足跡を見つけた。そこで、僕達はすべての食料をリュックサックに詰めて、鍋をいくつかそのバッグの上に置いた。もし鍋が落ちて音を立てれば、その大きな茶色い熊に、集めておいた石をぶつけてやることになっていた。いい考えでしょ?

幌尻 2052m-93番目の山

11月15日 木曜

277日目-25.5km

Crossing the riverClimbing the ridgeトム-熊の来襲にもあわず、テントのジップを開けると、30センチ程の新雪が積もっていた。僕達は、登山口まで8キロほどの砂利道を歩いた。その山道は凍ったように見える川の流れにぴったり沿って続いていた。2キロ歩いたところで、登山道を示すピンク色のタッグが川の反対側にあることに気がついた。それより先は急な斜面の峡谷になっていたので、マークに従い、膝たけほどの川を渡るよりほかに道はなかった。次の2キロでは、川を15回以上も渡らなければならなかった。山のふもとにある小屋に午前10:45に到着し、乾いた靴下に履きかえ、濡れた靴下を干し、素早く食料補給をして、マウンテンブーツを履き、その山をやっつけるために出かけた。

The journey back, with poor visibility through the forest最初は、森を抜ける登りだった。道には10センチ位の雪が積もっており、その雪が危険な氷の部分をおおっていたので、僕は何度も尻餅をつくはめになってしまった。1時間かその位過ぎたところで、だんだんと頂上へ向かって登っていく尾根にぶっついた。登れば登るほど、雪は深く、風は強く、視界は悪くなっていった。頂上では、気温マイナス10度、風速(ベンの推測だと)毎時100メートルだった。言うまでもなく、長居は無用だった。

The sunset下山はずっと速かった。樹木限界線のちょうど手前で、素晴らしい夕日に遭遇した。南に向かって伸びる日高山脈とその向こうの太平洋を見ることができた。最後の20分間は、ヘッドライトを点けて下ってきた。山小屋に戻り、ベンが薪を割ってストーブに火を点けてくれた。おかげで、今日の完璧な締めくくりを迎えられた。

11月16日 金曜

278日目-33km

親切な岡田夫妻

Crossing the river againトム-元気を取り戻し、凍りついた川にもう一度挑む準備万端で目が覚めた。ポールはズボンを濡らさずにすむための便利な技を考え出していた。サロペットの下のファスナーを開けて、それをリュックサックの腰ベルトにたくし入れる。そうすると、彼は巨大なオムツをしているように見えたが、うまいこといっていたので、僕も真似をした。川を下る途中で、(2000キロを歩き、3000メートルの頂上へ2回も登った)サンダルの紐がまた切れてしまったので、道行きはさらに大変になった。

砂利道まで戻ってきたところでブーツに履き替え、あとは、水曜日に岡田夫妻と出会ったトヨヌカという小さな村に向かって30キロ歩いた。岡田夫人は僕達のことを見張っていたにちがいない。町の500メートルも外で僕達を出迎え、僕達が生きて帰ってきたのを見てとても喜んでくれた。

The welcoming Okadas岡田さんのお宅にまたおじゃまして、コーヒーとケーキをご馳走になり、シャワー、風呂、洗濯機、インターネットまで使わせてもらった。(ふたりとも僕達のページをチェックしていて、岡田氏によると奥さんは5分おきに笑っていたらしい。)

夕食は素晴らしかった(岡田夫人は料理が得意でないと言っていたが)。僕達はビデオカメラをつないで、ふたりに幌尻登山の様子を見せてあげた。こんな悪天候に山登りをしている僕達をふたりは少しおかしいと思っていたらしい。明日は夜明けには起きなければならなかったので、かなり早く寝た。

11月17日 土曜

279日-47km

フロアーフラッシュ

The team leave the Okadas for the Daisetsu Mountainsポール-岡田夫人が札幌行きの早朝バスに乗ることになっていたので、全員早起きをした。

6:30までには荷物を背負って出発した。僕達は長いこと歩いた。雪は降ったりやんだりだったけど、寒くはなかった。

しかし僕達が道の駅に着いた時に、事態は一変した。気温はうそみたいに下がった。ベンと僕は最適な寝場所を求めて、道の駅のなかを歩き回るため、ありったけの重ね着をした。他の建物が夜間閉鎖のため6:00に閉められてしまったので、僕達は暖房&休憩エリアのあるトイレ棟に落ち着いた。

そこで食事の準備をして食べていると、運悪くかなり人の出入りが激しく、掃除のおばさんも出たり入ったりしていた。掃除のおばさんは親切だった。トムはトイレの裏の静かで落ち着ける場所にキャンプを張って食事をするために出て行ってしまった。僕とベンもまよったけど、彼女が「掃除をしている間はそのままそこにいてください」と言ったのでそれに従っていた。彼女は、こんな寒い夜には屋内に入る方が賢明ですよと言った。僕達は照明から出る熱と静けさの両方を求めて、障害者用トイレのセンサーを覆って、中に閉じこもった。問題は、あまりにも狭かったので、ベンはマットをフロア-フラッシュの上に広げて寝なければならなかった。それで一晩中寝返りをうつたびに、水が流れていた。

11月18日 日曜

280日目-47km

ライダーハウス

ポール-今日も長いこと歩いた。ほぼ一日中雪が降っていたけど、すべてが凍りついて歩道が氷でつるつるに滑るようになる夕方まではそんなに寒くなかった。僕達はこの旅で初めて宿代を払ってホステルに泊まった。そこは、トムがJETをしている間にしばらく滞在した富良野にあるバイカー達の宿だ。昼食の間、トムはAARがアレンジした二つ目のアウトドア雑誌の電話インタビューを受けていた。

日が落ち、いったん雪がやんだ。僕達は両側に冬山が美しくそびえ立つ幅の広い谷間に入っていった。ハッチにはじまり、イングリッド、そしてマリーからもかかってきたので、数キロがあっという間に過ぎた。暗くなるとまた雪が降ってきた。最後の7キロはつるつる滑って歩くのはもううんざりだった。背中の荷物のせいで、僕の腰と歩く気力はいまにも崩れ落ちそうだった。ベンも足首に痛みを抱えていたけど、決して休もうとしなかった。トムはあいかわらず元気いっぱいだった。人と一緒にいるのは常に素敵なことだけど、暖かい部屋で一人になれるのも今日のところは悪くなかった。

11月19日 月曜

281日目-35km

よきサマリア人

トム-この旅はじまって以来、初めてお金を払ってホテルに泊まったので、僕達はそれを最大限利用した。部屋が熱帯になるまでヒーターをつけっ放しにし、電気製品(カメラ、携帯電話等)を充電、そしてシャワーを浴びまくった。ぶらぶらしていてもよかったのだが、僕達は北海道新聞のカワイさんと9時にインタビューの約束があった。僕は彼に会うために出かけ、ポールとベンは冬キットを送っていたティムを待った。

その取材はとても良かった。僕らはこのウォーキングや地雷除去、さらにアフガニスタン情勢についていろいろ話し合った。11:30を過ぎていた。簡単な写真撮影を終えたのち、ベンと僕は、大雪山トラバースのために必要な5~6日分の食料を買いにスーパーへ行った。12:30までには荷造りを終え、準備完了。ポールは山を周回して僕らと反対側で会うことにすると決めていた。別れ際、ベンと僕はポールをハグして出発した。おそらく、来週はこの旅で精神的にも一番きつく、危険な週になるだろう。

半日で30キロ進まなくてはいけなかったので、歩きはしんどかった。さらに悪いことに、道が凍っていたのでもっと歩きにくかった。4時に休憩して、軽く腹ごしらえ、そしてヘッドライトを取り出した。その時バスを運転していた男性が、彼の旅館(温泉がある日本の伝統的なホテル)まで乗せて行ってやろうかと声をかけてきた。僕達はこのまま歩いていくと答えたが、荷物を持っていってもらえないか訊ねたところ、快く引き受けてくれた。

3時間後、僕達はまだ重い足取りで歩いていた。すると彼がまた通りかかって、今度は登山口のそばにある彼の旅館に泊まらないかと聞いてきた。そんなお金は持っていませんと彼に話すと、彼はただで泊まっていって欲しいのだと笑って言った。旅館は歩いてすぐのところにあり、僕らは美しい伝統的な和室に通された。それから24時間入れる温泉と露天風呂(屋外の温泉)へも案内された。僕は泣きそうだった。バスの運転手で、旅館のオーナーでもあるトダさんへの借りは到底返せるものではない。彼は僕らが休めるようにと部屋を出ていったが、それきり彼に会うことはなかった。

ベン-今朝、僕達は(富良野のJET)ティム・ボアソンの到着をいまかいまかと待っていた。日本の別々の場所から、ティムを経由して三つの荷物が届くことになっていたのだ。ほぼ一ヶ月を残すのみとなった僕達の周到なスケジュールを遂行するためには、三つとも予定通りに届いてもらわなければならなかった。

冬山登りキット包みを破り箱を開け、中にクランポンやロープ、かんじきが入っているのを確認して僕は興奮した。いよいよ山を登るのだという現実と、僕達を待っている未知の状況が、開封されたこの箱のように目の前に浮かんだ。思うに僕達3人はいつもギアフリークのタイトルをもらってきた。というのもこの旅に最適な用具を探してかなりの数のカタログをすみからすみまで読んでいたからだ。

次の予定は北海道朝日新聞のインタビューだった。タケシは僕達が会ったなかで最も優れたジャーナリストだった。彼の仕事に対する情熱と僕達の努力に対する好奇心は本当に励みになった。英語で話ができたのもよかった。いつもなら、トムは通訳をしなければならないし、ポールと僕は言いたいことを全部話せないので、取材は大変なことになるからだ。さらに今回はアフガニスタンの戦争についてコメントする機会も得られた。

1時には富良野を発つ準備ができた。ポールはこの後三つの山をパスすることにしたと言った。それは間違いなく、アルプス以来最も大きな覚悟だった。というわけで、トムと僕だけが35キロちかくある荷物をまとめ十勝岳の登山道へ向かう35キロの強行軍に出発した。僕は感情的なたちで、さよならはいつも好きではなかったけど、ポールにさよならを言ったときは少しも悲しいとは思わなかった。彼のいない山は確かにこれまでとは異なる経験になるだろうし、僕にとってはこの違いがかなりの損失となると思う。

丘に向かって歩きながら、僕達は話しをした。大雪と、悪天候にみまわれると悪名高い50キロの尾根と吹きさらしの高地が連なった3つの連峰への見通しについて時々ナーバスになりながら話した。

日が暮れても、目標距離まで15キロ残っていた。厚い氷に覆われた、曲がりくねった山道だ。山の上にある旅館(伝統的な温泉ホテル)を経営しているという男性が僕達の重いバッグを車で先に運んでくれると言ったので、この申し出を喜んで受けた。おかげでもっと楽に早く歩くことができた。夜も更けてきた頃、同じ男性がまた僕達を見つけ出し、彼の旅館の客として招待してくれた。断ることは考えもしなかった。こういう出来事が僕の人間的な優しさに対する信念に再び火をつける経験になるのだが、簡単に考えれば、僕は裸になって風呂に入るのが好きなだけだ。1時間後、僕達は雪をかぶった木々に囲まれた温泉につかり、富良野の夜景を見下ろしていた。心地よい布団のなかで体をまるめると、二つのことを考えた。ポールはどこにいるのだろう?どうやったらこういう状況にいきつけるのだろう?

11月20日 火曜

282日目-6km

ここから下り坂!一人で行く。

Snowy peaksベン-6時までに、トムと僕は山までの最後の2キロを歩いていた。雪と氷を踏みしめるブーツの音以外、何も聞こえなかった。空は驚くべき様相を呈し、太陽が山のもう一方の上方に昇っていった。僕達には見ることができなかったけど、雲の中のサーモンピンクの光によって太陽が昇って輝く様子がわかった。

いい天気への期待で僕達は次第に楽しくなってきた。それでも雪のことは心配だった。すでに何度か歩いた形跡のある道を歩き始めて、僕達の最初の希望が沸いてきた。おかげでとても歩きやすかった。

これから登る尾根のポイントに着いたとき、僕達は腰まで雪のなかに埋まっていた。途端にブレーキがかかってしまい、とめどなく汗が流れはじめた。尾根を無理やり登りはじめて間もなく、僕がスリップした。深刻なスリップではなかったものの、なにかの深刻な暗示でもあった。ストームトルーパー(足首サポータのようなもの)を装着しようとしたが、うまくいかなかった。僕の登山用ブーツにうまく合わなかったからだ。僕のどのブーツにもクランポンが合わなかったので、サポータなしで登る以外に仕方なかった。

すぐに痛みがやって来て、僕の体を衰弱させていった。休憩後、僕の足首は随分楽になっていたが、実際はまだものすごく弱っていて、雪と氷の上を歩くさらに強い圧力は、両足首にとっては絶えがたいものだった。僕の苦しみに気づいていないトムとはすぐに差がついた。休憩を提案しようとしたが、彼に追いつくまでに30分近くかかってしまった。

A chilly night's rest足首の怪我の限界と、トムに追いついたらどうするかを十分考えあげた末、彼にこれまでの苦境を白状した。高原を横切る50キロを歩きとおせるわけないとは思っていたが、どうしても尾根までは登りたかった。粉雪と草木の間を登っていくのは、容易なことではなく、足に故障のないトムでさえも先を急ぐことはできなかった。そこで僕は、尾根まで行ったら、トムと小屋で一泊し、翌日一人で下山することにした。いったん決めると、僕達は上を目指して進んだ。かんじきを履いていたにもかかわらず、僕は腰まで雪に埋まっていた。2時間たっても1キロしか進んでいなかった。この際現実的になって、頂上に立ちたいという欲望よりも、安全を重視した決断をするべき時だと思った。

トム-ベンと僕は、温泉に入りたかったのと、テレビの映画を見たかったので夜更かししてしまった。翌朝、僕がケーブルでBBCニュースを見ている間、ベンはまた風呂に入りに行ってた。出発前にもう一度トダさんを探したけど、彼はどこにもいなかった。

登山口までは少し歩いた。驚いたことに入り口付近の雪は踏み固められて道になっており、それが2キロほど続いていた。その後道は狭くなり、雪の上には2組の足跡が残されているのみとなった。しばらくその足跡についてゆくと、それが冬山を撮りにきていた老年の写真家二人組みであることが分かった。その方向に歩き続けることもできた(ベンが行きたがっていた)が、しかし最終的に僕の提案した安全策をとることにした。すなわち、来た道を10分引き返し、山を反対側から登ることになった。

このルートはより安全ではあったかもしれないが、とても容易ではなかった。間もなく僕達は深い雪と厚いやぶの中を押し進むこととなった。かんじき(マリー・フェニーが親切に貸してくれた)は2人に1組しかなかったのだが、僕はベンに履くようにすすめた。かんじきは登り道用にデザインされているのではないので、とても使いづらかった。ベンはそれを履いていて、すべり足首を痛めてしまったのだ。痛がっているのは明らかだったけど、ベンは僕にこのまま進んで最低でも尾根の最初のピークまで行こうと言った。しかし1時間後、それ以上進むのがまったく不可能になり、粉雪の道の上で遅遅として進んでいなかった。ベンが今日のところは終わりにしようと言った。斜面の上でキットを分けた。僕がテント、クッカー、かんじきを引き取った。分かれる前に二人で祈り、僕は斜面を押し進んだ。

粉雪の道を苦労して進み30分が過ぎた後、風で吹き固められた道に出たので、雪は僕の重みに耐えて、ずっと速く進むことができた。登るにつれて視界が悪くなっていったので、十勝岳の南側へ行く小屋を見つけるのに苦労した。もともとは十勝岳を越えて北側への小屋へ泊まるつもりでいたのだが、ここまで来てすっかり疲れ果ててしまったので、12:30に今日はここまでで終わりにした。その日の午後はいろいろなことをして過ごした。地図を眺めたり、服に着いた雪を払ったり、料理、雪を溶かしたり、書き物や、とにかく暖かくしていられるようにした。小屋のなかはなんと-7℃。ポールが5時頃電話をしてきたので、彼とベンのことを話した。5:30までには横になって眠りについた。多分、この旅での新記録だ。

十勝岳 2077m-94番目の山

11月21日 水曜

283日目-15.5km

Marker fence buried in snowトム-午前4:30までにはすっかり目が覚めてしまい、どうしても自然の欲求に答えなければいかない状況になっていた。外へ出ると、これまで見たなかでもっともすごい夜空に遭遇した。何百もの星が輝いていた。雲ひとつなく、半月がまわりの山々の影を浮かびあがらせていた。6時を過ぎると、すぐに十勝岳を登り始めた。太陽が地平線上に上り、雪を頂いた 山々を見事なピンク色に染め上げるにつれて、空の色が刻一刻と変わっていくのが観察できた。(白黒フィルムの入った)コンパクトカメラで何枚も写真を撮った。いつものことだが、カラースライドフィルムを入れたSLRを持ってくるべきだったと思った。

The rucksack at the peak of Tokadake頂上では僕のリュックサックを置いて証拠写真を撮り、それから峰の北側を下りていった。ここも雪が硬く、クランポンを履いて楽々歩けた。ところどころで、雪がへんな格好の坂に吹き固められて、怪物のように見えたり、地面には繊細な羽毛の模様ができていたりした。

Snow dunes10:30に峰の北側へ行く小屋に着いたが、天気が良かったのでそのまま進むことにした。けれどすぐに、かんじきを着けなければならなくなった。硬くなった雪の薄い層が貼り付いた、かなり広範なやぶにさしかかったときには、かんじきをつけていても5歩進むごとに腰まで雪に埋まった。まるで、上はサクサク、下はねっとりべっとりの焼きアラスカの上を歩いているようだった。

A snowy mountainous viewやぶを抜けると、長いまっすぐな尾根に出た。雪は前よりも歩きやすかった。2時までに高い剥き出しの峰の上に辿りついていたが、またしても最悪の視界だった。僕は尾根の間違った側を下りてきてしまい、その間違いに気がついてすぐ反対側へ進路を変えたが、それも間違っていた。1時間半ぐるぐる歩き回った挙句、やっと正しい道を見つけて木ややぶで覆われた広くて平らな野原に下りることができた。それまでに太陽が沈んでしまったので、木々のシェルターの中に適当な場所を見つけ、雪をまわりよりも1メートル低くなるくらいまで踏み固め、キャンプを張った。凍えそうに寒く、一晩中テントを風がたたきつけていたが、あまりの疲労にその夜は本当によく寝られた。

11月22日 木曜

284日目-7km

粉雪に悩まされる

トム-起きると山には雲がかかって視界は悪かった。20メートルおきにコンパスで方向を確かめなければならなかった。さらに悪いことにそのあたりは僕の足をひっぱり、かんじきに絡まりつこうと待ち構える曲者の茂みだらけだった。5歩進む度に顔からうつぶせに倒れ、起き上がるのにかなりの苦労を強いられた。日が暮れるにつれて、余計時間がかかるようになり、しまいには一度倒れてしまうと、起き上がるのに必要なエネルギーをしぼり出すのに最低でも1分を要した。

道は緩やかに傾斜した丘の連続へと入っていったが、僕には何も見えなかったし、恐ろしいくらい進んでいないように思われた。しかし忍耐とはある種の美徳というもので、最終的に潅木地帯を抜け、天候も回復すると僕は平らで雪のないキャンプサイトに出た。

夕飯を作った後、僕が用足しに外へ出ると、またしてもそこには素晴らしい夜空があった。夜中の用足しにはちょくちょく行くべきなのかな。」

トムラウシ岳 2141m-95番目の山

11月23日 金曜

285日目

A rugged peakトム-雪の状態のおかげで、トムラウシ岳への登頂は容易だった。それでもへんな藪に落ちるのを避けるためにかんじきは履いていた。途中マリーに電話して、僕が無事にやっていて、月曜の午前中にはみんなに会うつもりだと伝えてくれるよう頼んだ。午前10:00までには頂上に着き、ここでもまた僕のリュックサックを写した証拠写真を撮った。目を見張るような眺望だった。南には十勝岳と僕がすでに上った連峰、北には三つのうちで一番高い旭岳が見えた。峰からは高地への急な勾配だった。すべての方角に、何マイルも先まで見渡すことができた。北極圏を歩くのと似ているに違いないと思った。ふと僕は巨大な氷の上にいるのだと気がついた、つまりアルプスの湖の真中に立っていたのだ。

誰もまわりにいなかったので、ギルバート・サリバンズやHMSピナフォーからの数曲を、大声で歌うことにした。なかなかいけてると思ったが、そうではないことを示すものに出会ってしまった。僕が歩いてきた方角から逃げて行く、真新しい熊の足跡を発見したのだ。それは、とても急な脇の谷へと続いていた。かわいそうに、熊も逃げ出さずにはいられなかったのだろう!

Snow covered bushes and boulders午後2時、宿泊する予定の小屋に着いた。ドアが大きく開いていて、床には2インチほどの雪が積もっていた。幸いロフトにはほとんど雪は積もっていなかったので、横になれるくらいのスペースをきれいにした。今日も早く休んだが、僕のごみ袋をあさりに来たねずみを追いたてるのに2回起こされた。

ポール-北海道の中心から82kmほど上に位置する愛別町に着き、そこで徒歩で前進していけるだけの動機、意思、体力の限界に達したことを悟った。層雲峡温泉(大雪山山脈を越えていくトムのルートの最終地点)まで、まだ40kmもあった。全体ルートのゴールまでは700km近くもあった。しかし、道は愛別から再び北へ進路をとる前に南へ折れる。そこで僕は決心を固め、ヒッチするために親指を上げたのだ。

The clear view to the south僕達のこの旅に関わった全ての人に対して申し訳ないと思っている。僕はやり遂げると言っていたのだから。自ら辞める決心をしたことで、僕自身今は無念な気持ちでいっぱいなのだ。僕が足を骨折したというなら話は分かる。(ベンはある時点で助けを申しでてくれた)しかし骨折なんかしなかった。理由はすべて僕の頭の中で考えられたことだ。その後の7つの山を登らないと決めたのは幌尻(11月15日)でのことだった。氷点下、自足100マイルの風にたたきつけられている時ではない、風のさえぎられた低いスロープでのことだ。

今回の旅の毎日には二つの側面があった。道歩きと山歩きだ。物心ついたころから、僕は道歩きがひどく嫌いだった。そして、先を急ぎ、よろめき、自らに責任を課して、つまずきながら、次から次へと山々を登るうち、山歩きへの嫌悪感も自然と大きくなっていった。同情をひきたいわけじゃない。僕がここにいるのは、僕自身の犯した間違いだし、それはぼくが山歩きよりも嫌っているこの歩きで、どう山を登るかということであるのを知っている。しかしながら、この旅を半分終えながらも、僕はこの嫌悪感をどうしようもできない。

Lonesome tracks山登りを止める決断をさせたのは、僕の頭の中で最後の少しの期間に棲み付いた恐怖心だ。山自体、技術的にはそれほど難しくはないし、山歩きだ、僕が恐れているものじゃない。僕の恐怖心は、どんなにテクニカルなものであれ、山に特有の危険を受け入れることへの気のすすまなさに根付いている。そう、それに冬に入って、その危険はさらに増した。またこの恐怖心は、出発した時点よりも、山歩きに自信がなくなっているという事実にも根付いている。幌尻の雪道を登りながらも、そこにいるのがとても不適切で不似合いな気がしていた。やはり、この旅でどんなふうに山を登るかということが、こうした感情を引き起こしていたのだと僕は思う。冬が本格的にやってくる前にこの旅を終えられるよう、僕達は常に出来るだけ早く踏破しなければ、というプレッシャーの中にある。僕達は山に飛び込み、距離をかせぐためにばかげたルートを登り、そこには常に今やらねばという気持ちがある。

そんなわけで、二人は僕抜きで大雪山山脈(94~96番目の山とその他の山)へと向かった。僕は二人がいらないキットを運んだり、ルートの終点へ食料を届けたりする、つまり地上管制官の役目をしてきた。(これを書いている今もそうだ)そこから、僕は本来のルートを忠実になぞろうと思ってきた。実際は山に登らず、300kmの道のりをずるして、もう少し楽なペースで歩くのを許してもらっていたのだが。理論的に、そうすることで嫌悪感や恐怖心から逃れられる、そしていくらかでもましな嫌悪感を残しながらも二人と一緒にゴールできるはずでいたのだった。

Tom beds down for the night94番目の山で二人を襲った腰まである粉雪に、ベンの足首が悲鳴をあげた。僕達が借りて持ち歩いてきたかんじきはトムのものとなった。ベンは彼なりに止める決心について語るだろうけど、僕にしてみれば22日の木曜日に彼が東京へ戻るのを見送った時、ぼくのやる気もいっしょになくなってしまったのだと思う。誰かから励ましてもらったり、彼らがあなた方の励ましを受けることで、やる気が出ていたのだから。

1日とさらにその次の朝を歩きとおし、それから自転車道路に出て、雲ひとつない空の下に立って、もう十分だと思った。

踏破しなかったことを、僕は後悔しないし、今後も後悔しないだろう。僕はこの冒険に出かけようと決めたあさはかさを後悔してはいるが、未登頂の山々があることは後悔しない。僕の決断とベンの足首がもとで、トム一人を冬山に残してきたのは情けないことだし、とても責任を感じている。トムは見捨てられたということになるのだろうか?ある意味イエスだ。僕は彼と一緒に登ると言ったのに、もう登らないと言ってしまった。山の中では一人よりも、二人かそれ以上が、1組あるいは団結したチームとして歩くほうがより安全に決まっている。しかし、概して、トムと団結したチームとして歩いたのなんて、何かの理由で真っ暗な山道を歩かなければならなかったときに、ライトがひとつしかなかったあの時だけだ。恥ずかしながら、その時を除いてみると、僕達は同じルートを歩き、一緒に休憩し、二人あるいは三人で行動してきたが、それは実際には、二人あるいは三人の単独行動者だったのだ。地上に残っていると、僕達はトムがいつ山を下りてくるべきなのかを正確に知ることができる。つまり三人全員が登っているよりも、安全網の役目を果たす。トムはたくましく、しっかりしていて一人になっても絶対大丈夫だ。この9ヶ月半彼と行動を共にしてきて、彼は今こそ自由になれたのだと思いたい。見捨てられたんじゃない。

僕はこれから、少なくとも日本がどれだけ南北に長いのかを確かめるために北海道の北端までヒッチハイクしようと思っている。その後はまだ時間があるだろうから、東京までできるだけヒッチハイクで戻るつもりだ。お金の節約と東京から北海道までの旅の間にお世話になった人達にもう一度会うために。過去数ヶ月にわたって、僕のくだらない文章を読んでくれてありがとう。これからも、そしてトムのことをよろしくお願いします。

11月24日 土曜

286日目-11km

履くべきか? 履かぬべきか?

The snowshoes kindly leant by Mary Feeney トム-今日一日の課題は、かんじきを履くべきかどうかにかかっていた。出だしは、凍結した茂みだったのでシューズを履いて歩いたが、その後、険しい上り坂が続いたので、シューズを脱いだ。下り坂は岩が剥き出しで、硬い雪と氷に覆われていたので、そのまま履かずに歩いた。しかし、まもなく凍結した茂みがまた現れ、シューズを履くはめに。一日中、その繰り返しが続いた。10回以上、脱いだり履いたりしたと思う。

The road ahead今日は、もともと短い距離で予定を立てていたので、午後には山小屋に入って休むことができた。体が弱ってるのが身にしみて分かり、長い距離を進むのはキツイと判断したのだ。この4~5日、汚い緑色の鼻水が次から次へと出てきて、今日は特にひどい。ついてないことに、ポケットティッシュは1パックしか持ってきてないので、もっと大事なときに備えて、鼻をかむごときに使ってられない。仕方ないから、100メートル歩くごとに雪の上に鼻水を吹き飛ばした。

午前11時に山小屋に到着し、倒れこんだ。午後はずっと、脱水症状がひどかったので、ココアを飲み、日記の続きを書いた。午後4時、ポールから電話が来た。何の問題もなく、明日には下山できると伝えた。ポールは、これから天気が悪くなるようだと教えてくれた。山小屋の住人であるネズミ達が、またも僕の睡眠を邪魔しようと躍起になっている。顔の上をはいまわる奴までいて、起き上がると、そのネズミはボトっと寝袋に落ちた。「ネズミ最悪経験値」を、また更新してしまったようだ

11月25日 日曜

287日目-15km

狂い山

トム-早々に出発しようと思って、朝早く起きた。風がすさまじく、視界が悪い。ヘッドライトを頼りに歩き始めたが、30分もすると体が雪に覆われて真っ白になった。空も真っ白、地面も真っ白で、自分が上ってるのか下りてるのか、横道にそれているのかさえも分からない。仕方がないので、自分が付けた跡を頼りに(緑色の鼻水も頼りになった)小屋まで引き返し、天気が回復するのを待つことにした。小屋に戻ると、百名山登頂の夢は、もう達成できないんじゃないかと考え始めた。朝日岳を登り切って明日までに下山しなければ、予定している12月19日の飛行機に乗れなくなる。僕は神に祈った。「僕に何を教えようとなさってるのですか? 忍耐ですか? それとも、身の程を知れということですか?」

10分ごとに雲行きを確かめる。午前7時半、かすかに雲が晴れた。一瞬だけ見えた、出だしの行程をしっかりと頭に叩き込み、コンパスだけを頼りに再び歩き出した。けっこう頻繁に雲が晴れてくれるので、目指す前方を見極めることができる。それに20~30メートルおきに立ててある木の杭も、たいていが雪に埋もれてはいたが、頼りになった。

午前9時、岐路に立っていた。ひとつの道は朝日岳の頂上に通じる最後の上り坂で、もう一方はポールと待ち合わせをしている層雲峡という町へ続く下り坂だ。強風が山から吹き下りているので、登るには風に真っ向からぶつかって、体を斜めにして進まねばならない。雪煙が舞い、風が氷片を飛ばすので、ほとんど目を開けていられない状態だ。氷山向けのゴーグルは、すぐに雪にまみれて曇ってしまうので役に立たない。登山帽を耳まで引っ張ると、しばらくは暖かかったが、すぐにまた全身が雪にまみれて真っ白になると意味がなかった。引き返すしかない。他に選択の余地はなかった。僕は無意識の内に大声で叫び、近くにあった岩をアイスピックで叩き始めた。どうして? ここまできて、挫折するってのか? 初めの頃に、もっと距離を進めてれば! 朝日岳は10月に登るべきだったんだ! 東京で無駄な時間を過ごさなければ! あらゆる考えや、「もし、あの時」という言葉が頭の中をぐるぐる回っていた。

頂上まで2キロのところで引き返し、高度で100メートル下山した。気分が悪かった。下りていくと風がやんだ気がして、もう一度だけ挑戦しようと上りに向きを変えるのだが、すると風は一段と激しくなってるのを思い知るのだった。2度、向きを変えたが同じだった。

岐路に戻ったのは午前10時半だった。下山の前に一旦、小屋へ戻った。視界が悪く、100メートルごとに地図を確かめて歩いた。小屋で、ゆっくり考えを巡らせたが、登頂への道はなかった。天候は、さらに悪化すると分かっているのに、もう一晩とどまって明日また挑戦しようと、頭の片隅で考えてしまう。全てをあきらめて下山するには、とても勇気がいった。

下山ルートに入る手前にある黒岳の頂で、スキーヤーに10人ほど会った。ここからスキーで滑るために登ってきたらしい。さらに上方からわたしが下りて来たので、みんなが驚いて質問を浴びせた。「どこに行って来たんですか?」「まさか十勝岳じゃないですよね!」「1週間はかかったでしょう!」「あれ? 新聞でお見かけしましたよ」僕は、「ありがとう。でも、たった今挫折したんです」と答えるのがやっとだった。

下りは、粉雪が積もった険しい黒岳の坂道から、スキーコースへと続いた。そして最後に森林地帯へ入り、傾斜をジグザグに下りる。天候は最悪。気温0℃ちょっとで、寒いが雪が解けてぬかるんでいる。雨が降り始めたのだ。

4時にポールと予定通り会えた。座って話す。ベンは足首の具合が悪く、もう切り上げて東京に向かったそうだ。そして、ポールもまた、もう切り上げたいのだと言う。僕は心身ともに、へたばっていたので、理解を示すのにたいそう骨が折れた。それからポールは、まだ、大がかりな記者会見の予定もないのだから、19日に無理して3人全員がイギリスに帰ることはない、と言った。登山はまだ続けられる。飛行機の予約を先延ばしにして、天候が良くなるのを待って、もう一度、朝日岳を目指すんだ。

父さんと母さんに電話して、元気にしていることと、この14年かかさず家族で過ごしてきたクリスマスまでに、帰れないかもしれないと伝えた(僕にとっては、すごく辛い電話だった)。そしたら父さんが、11月29日に札幌に来て、12月16日まで僕に同行して手伝ってくれると言う。この言葉には、ほんとに元気づけられた。

午後は、ずっとポールと一緒にいて、今後の予定なんかを話し合った。ポールは金曜日から層雲峡で僕を待っていたので、町やその周辺に詳しかった。何と850円で食事と温かいお風呂付きの宿まで見つけてくれていた! 町の見所や寝床(もちろんトイレの中!)なども教えてくれた。用具の準備なども手伝ってもらい(2人用テントを1人用に変えるなど)、それから麗しき我が家である公衆トイレへと向かった。

11月26日 月曜

288日目

雪の午後をのらくら過ごす

Bye, bye Paulトム-水曜まで天気は良くならないと聞いたので、今日はのんびり過ごした。公衆トイレで紅茶を入れて、それからポールを見送りに行った。雪景色の中で、ヒッチハイクをするポールを見届けると、いきなり、すごく寂しくなってしまった。

バス停まで歩いて、地図を眺めた。はたしてクリスマスまでに終われるだろうか? どう見ても23日か24日まではかかりそうだ。僕は、どこでクリスマスを迎えるんだ?

ビジター・センターにでも行って、2~3時間つぶそうと思っていたのに閉まっていた。代わりにコミュニティー・センターで座って(すごくあったかくて、快適だ)、日記を書いた。

今の僕の気持ちは?

僕は、すごく複雑な気分だ。仲間が帰ってしまい、この先はひとりかと思うと寂しさも感じるが、彼らが百名山達成を義務に感じないで、自分達の考えで帰途に着いたことに満足もしている。まあ、ベンは怪我したので選択の余地がなかったけど。交通機関を使わずに歩き回り、百名山を達成するって計画は、僕が言い出したのだ。ポールやベンは、僕の「すべて徒歩で」哲学には無理があるって何度も思ったことだろう。実際、何度かは僕もそれを認めなきゃならなかった。

でも僕らは、すでに目標をひとつ達成している。地雷撲滅に向けて、できるだけ認識を広げ、寄付金を集めるってことだ。ポールとベンに、多大なる援助をしてくれた全ての人びとに感謝している。あなた達の援助があればこそ、僕達は、素晴らしいことを成し遂げるに十分な寄付金を集めることができた。地雷は取り除かれ、家が建ち並び、子ども達が地雷に怯えることなく外で遊べるようになる。それを考えれば、ポールとベンがリタイヤしたことなんて、取るに足らない出来事だって分かるんだ。

僕のことは心配いらない。大丈夫さ。ひとりで歩くってことは、好きなときに出発して、好きなときに休めるってことだ。そう考えると、すごく楽になる。寒さと雪には悩まされるだろうけど、十分に時間があるんだから、安全に、よく考えて足を進めればいいんだ。でも、このウェブページはこれからもマメにチェックしてよね。この最終月間は、きっと面白くなるぞ!

11月26日 月曜日~30日 日曜日

ポール-(ポールと別れた)層雲峡温泉から北の沿岸地帯までヒッチハイクして、ニックというJETに会いに行った。ニックはハッチから僕らの旅のことを聞いていて、僕らみんなに北上する途中の宿を提供してくれたのだ。ニックは一週間の宿だけでなく、好きなだけ彼のビデオを見てもいいし、日本本土の最北端まで連れていき、さらに札幌まで誰かに乗せていってもらえるよう手配までしてくれた。

僕はビデオを見たり、ほぼ一晩中現れていた冬の素晴らしい景色を眺める以外、ほとんど何もせずに時間を過ごした。月曜日の夜、本格的に雪が降り始め、2001年12月1日土曜日に僕がフェリーに乗るまで、降り続いた。道路は一面氷と化し、厚い雪の層が全てを包み込んだが、僕以外だれ一人としてそれを特別なことだとは思っていなかった。僕が思うに、あっちの方の人は白鳥が氷の上に座ってたり、飛び立つときや着陸するときに滑っているのを見るのは慣れているのだ。波が雪の降り積もった岸辺でくだけるのなんて見なれた光景なのだ。町の老婆たちは、雪が降り続く中一日中家の回りの雪かきをしてそれらすべてに慣れているようだった。

11月27日 火曜

289日目

またしても怠惰な一日

トム―天気が回復するまで、層雲峡でひたすら時間を潰している。軽い足の運動がてら小渓谷を登って、大雪高原から流れ落ちる壮観な滝をいくつか見に行った。滝は、ちょうど凍り始める時期だった。

レストラン街で、天気予報を見た。明日からの1週間、旭岳近辺は大雪に見舞われるらしい。そんなに待ってられないと思い、旧友のウィル・ウィチャリーに電話することにした。彼は僕と同じ1998年から日本で英語を教え始め、1年でやめた僕と違って、何と在日4年目に突入している! 僕はさっそく電話して、明日には帯広で会う約束を取り付けた。

11月28日 水曜

290日目

古き良きトモダチ

Tom and Mr Tosakiトム―また一晩、障害者用トイレで快適な夜を過ごした。起きて荷造りをし、冷たい風と雪が舞う道路わきに立った。ヒッチの車を捕まえるのだ。足踏みしながら待つこと1時間、乾燥しいたけのセールスマン、トサキさんが止まってくれた。北見と網走を経て、帯広に向かうと言う。だいぶ遠回りだったが、急いでもなかったので飛び乗った。僕たちは、トレッキングのこと、旅行のこと、天候のこと、そして、もちろん乾燥しいたけのことなんかも話した。

Tom and his old colleagues from Urahoro途中で、僕が教師をしていた頃に住んでた町に通りがかった。僕は、昔の同僚や友だちに挨拶もせずに通り過ぎるなんてできなかった。だしぬけに僕が現れたので、当然のことながら、みんなものすごく驚いていた。15分しかいれなかったが、日本を出る前に必ずもう一度立ち寄ると約束をした。その後、美味しいご飯を食べ、帯広で降ろしてもらい、次の仕事へと向かうトサキさんと別れた。

帯広に着くとすぐにウィルを呼び出して、その夜はお互いの近況を報告し合い、古き良き日々を思い出しては笑って過ごした。

11月29日 木曜

291日目

父さんがチームに仲間入り

Tom and Willトム―ウィルは仕事に行った。僕はビデオを見て、のんびりする。日中に待ちかねていた電話を受けた。父さんからだ。今朝、札幌に到着して、旧友の佐々木さんの車で帯広に来る予定なのだ。

父さんに会うのは、何だか不思議な感じだ。1週間前なら、父さんが僕の手伝いをしに来るなんて笑って聞き流したことだろう。でも状況が変わり、父さんと佐々木さんが来てくれて、本当に感謝している。親切にも佐々木さんは、僕と父さんが山から山へと移動する際の運転手を、買って出てくれた。僕は計画を立て直し、まずはできるだけ早く山々を制覇して(ますますひどくなる冬の天候を避けるため)、山と山の間のトレックは後からすることにした。

リストによると、次の山は雌阿寒岳だ。帯広から車で3時間かかる。用意された車は、理想とは程遠いものだった(佐々木さんの息子さんのもので、車高の低い、ツードアのスポーツカーだ)が、荷物をできるだけ小さくまとめて、3人で車に体をねじ込み、出発した。阿寒で、バイク乗りのための個人経営の安宿、「ライダーハウス」を見つけた。この手の宿はすごく安くて、およそ3ポンドで泊まれる。安宿を経営してる男性はアイヌ(古い日本の土着民族)の血を受け継いでいて、アイヌの人びとが公開している伝統工芸を、木陰に身を隠して無料で見学する方法を教えてくれ、アイヌの歌やダンス、物語などで僕たちをもてなしてくれた。しかし、父さんは時差ボケで疲れきっていたし、僕も明日の登山の用意があるので、早々に引き上げねばならなかった。ところが佐々木さんは、隅で若い男性2人につかまって、キリスト教信仰について(なぜだか、すごく興味を持たれてしまったらしい)半ば無理やり話をさせられたそうだ。それも、なんと夜中の3時まで!

雌阿寒岳 1499m 96番目の山

11月30日 金曜

292日目 25km

Tom at the top of Meakan-dakeトム―佐々木さんは、昨日遅くまで起きてしゃべってたのに、僕と父さんより早く起きていた。3人で雌阿寒岳の登山口まで車で行き、僕は午前8時から登山を開始した。父さんと佐々木さんは、近くに温泉を見つけてあるので、僕が登ってる間に温泉につかって、のんびりするつもりだと言った。僕は4~5時間で戻ると告げた。

雪は降っていたが、登山は楽勝だった。頂上でさえ、雪は5センチしか積もっていなかった。登頂の証拠写真を撮ってたら、噴火口がシューって音を立てたので、大急ぎで下山道へ向かった。午前10時に待ち合わせの温泉に行くと、佐々木さんが仮眠をとっていた。僕はさっと温泉に入って、申し訳なく思いつつも超寝不足の佐々木さんを起こしてしまった!

斜里岳は明日から登れれば上々だと思っていたが、昼前に雌阿寒岳が片付いたので、今日から登ってしまおうと決めた。登山口に続く道まで2時間かけて車で移動し、向かう途中で必要なものを買い揃えた。

ちょうど太陽が沈み始めたときに歩き出したので、すぐに暗くなった。雪が激しく降り続け、50センチ近く積もる雪の中を歩くはめになった。しかし、午後7時半には登山口に到着。地図によると、ここに小屋があるはずなのに、どこをどう探しても見当たらない。(後で分かったことだが、その小屋はプレハブの組み立て式で、冬の間は設置していないのだ)でも、公衆トイレは見つけることができた。

各月ごとの日記―

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