日記-9月

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9 月1 日 土曜

202 日目―40km

東京は過ぎ去った。完全に過ぎ去った。

A beautiful wooden templeベン―目が覚めると気分が悪かった。昨晩の喉のひりひりは、ひどい風邪に成長し、頭がガンガンした。

出発すると、学校へ向かう子供の大群に追い抜かれた…土曜日に?明らかに、学校はいつでも夏休みの後は9 月1 日に始まるようになっているようだ、曜日に関係なく…僕なら暴れ出すね!

僕たちはセブンイレブンとスーパーマーケットで、明日の休みのための買い物をした。そこで、僕はぼろぼろの自転車を見つけた。それまで喉も頭もすごい気持ち悪かったんだけど、道で新しいおもちゃを見つけて、僕はいっぺんに元気になった!錆び付いていたし、小さすぎたけど、それでもやっぱり、すごい楽しい。ポールはちょっとノッてくれたけど、トムの気を引くことは出来なかった。

夕方、気を失っちゃうぐらいきれいな夕焼けを見た。写真では正確にこの美しさを写し取る事は出来そうになかった。だから、僕は座って詩を書くことにした。言葉が、僕が見ているモノをより正確に残してくれるよう、願いながら。僕はあんまり気分が悪かったんで、7時に歩くのを止め、

9 月2 日 日曜

203 日目

筑波山の下の休日

ベン―8 時半に起きて、2 人を探しに出発した。地元の人たちの助けと(僕の側のとっても下手な日本語と)、ポールの呼び声で、僕たちが次に登る山をすばらしい光景で見渡せる、広くたっぷりと粘土が積もった川辺にあるキャンプを見つける事が出来た。正直に打ち明けると、僕の1 日はそこで午前11 時に終わってしまった!風邪で疲れ切っていたので、僕は一日中寝ていた。ポールとトムは日記を書き、少し読書をした。トムは釣りも始めたけど、泥の中に腿まで沈んでから急いで止めて、AWOL のサンダルを掘り起こすので必死になった。

筑波山( 877m ― 65 番目の山)

9 月3 日 月曜

204 日目―27km

Tom carries the flag on Mt Tskubaトム―ベンは今朝も調子が良くならないようなので、僕たちはとても簡単にこの山を登ることにした。登り道で、セミたちの地獄のような叫び声の中、一定のリズムで太鼓をたたいている神主たちを通り過ぎた。百名山の中で最も低い山で、何の問題もなく頂上で写真をとった。

午後はひたすら北へ歩いた。面白くないまっすぐの道で、僕たちが時々味わうこの種の退屈さを、カメラで写し出すことが出来るかみんなで試してみた。早い時間に止まって、残りの午後は小石を投げたり泳いだりして過ごした。

9 月4 日 火曜

205 日目―42km

『セイブ・オン』で大漁!

トム―僕たちはテントを打つ雨の音で目が覚めた。10km 歩いてから、『セイブ・オン』という24 時間のコンビニで、短いトイレ休憩を取った。僕はゴミ捨て場をチェックして、いっぱいに詰まった弁当、おにぎり、お菓子、モチを見つけた。言うまでもなく、僕たちはかばんをタダの食べ物でいっぱいにして、日本の埋め立て地に行くゴミの山を減らした…僕たちを『エコ戦士』と呼んでくれ!

この日もまた、退屈な道をてくてく歩いて過ごした。ポールと僕は、ベンのバースデープレゼントを買うためにちょっと立ち寄った。そして、

9 月5 日 水曜

206 日目―40km

ベンの誕生日

The three team membersポール―トムと僕は、ハッピー・バースデーの合唱で5 時半にベンを起こした。ベンはウイスキーのボトルを片手に喜びを噛みしめながら、寝坊させてくれたらもっと良かったのに、と彼は言ったが―それは考えもしなかった。

正午までに、僕たちはとうとう関東平野を後にした。そして、さらにもう一山の捨てられる食料をきれいに回収した(やったら失礼な事なんだろう。全てはベンの誕生日の為だ)。そして歩いていると、ようやく僕たちを待つあわれな群馬の地方紙の記者が道で歩く僕たちを見つけられる所まで着いた。彼の同僚の車のそばに立ち、変なインタビューがおこなわれた。でも彼は興味を持ったようで、僕らが歩いている写真を途方もない枚数撮っていた。

夕方、僕たちは丘の裏側で屋外便所の腐食したタンクを乗り越えてキャンプを貼っていた。両親にかける事が出来る携帯電話があり、一度キャベツの匂いに慣れたら、ここはちゃんとした、平たいキャンプだ!夕飯の為には『ゴミ置き場はパック前の食事を回復する』(実際とっても美味しい)。僕たちは、どうしたら人の誕生日を記憶に残るモノにするかを知っているんだ。

赤城山 (1828m ― 66 番目の山 )

9 月6 日 木曜

207 日目―16km

Atop Akagiポール―先週からベンを苦しめている『寒気がして-喉がひりひりして-頭がガンガンする』菌が今日になって再び彼を包み込んだ。でも、そんなちっぽけなモノはベンの足を遅らせることは出来ても、決して止めることは出来ない。だから、僕たちは霧深い雲の層を突き破り、太陽の中、66 番目の山の頂上で座った(もしくはお尻を日に焼いきながら立っていた。もし君の名がベンというなら、だけど)。

赤城山は標高の高い美しい湖から、急勾配になっている。頂上は筑波山(65 番目の山)より1000m 高いんだけど、整備された道のない山登りは筑波山より短い-日本の高山道路の変な所だ!雲の海の上からの眺めは素晴らしかったけど、食料を道に置いてきたので急いで下りた。坂道を下りきったところで、ベンの体調があまり良くないようだったから、今日はここまでにすることに決め、すぐそばの湖のほとりでキャンプを貼ることにした。

僕は明るい青色のバッグ(2人用テントの為の防水シートを入れている)を、トムにキャンプの位置を知らせるために(彼は湖のどこか遠い所で体を洗っていた)道路の脇に残した。特にそれ以上考えることなく、ベンをぐっすり眠れるようにして、日本の寺を包み込む静寂を楽しみながら、寺の庭に座って日記を書いた。

霧が湖を包み込み、温度が急低下する中キャンプに戻ってくると、バッグを見ることなくキャンプに着いているトムの姿があった。僕たちは荷物をどこにでも置きっぱなしにする。1000 ポンドものビデオカメラだって、東京の真ん中でどこかに置いていこうとしたけど、僕たちの元へ戻ってきた。でも、テントのシートはどこかに行ってしまった。二時間の捜索は無駄に終わった。そして、誰かがツーリストオフィスに届けている事を願いながら寝床についた。頭の中は数多くの「たら、れば」が渦巻いていた。

9 月7 日 金曜

208 日目―35km

防水シート “wa doko deka” ?

ベン―お店が開き始める時間になると、トムは、テントの致命的な欠落部分を何とか出来るものが見つかるかもしれない、とみんなに言い、キャンプを離れた。昨晩、雨が降り出し、僕は一人用のテントで寝ていて何ともなかったけど、トムとポールは水漏れするテントで寝ていて、ポールは雨に我慢強いトムを残して、公衆トイレの床に避難した。僕とポールは助けを求めるため、地図と地方で働く外人教師のリストを調べた。一人だけ、僕たちを助けることが出来る人が近くにいる。メアリー・フィーニーという人だ。トムの調査は全くの徒労に終わった。だから、僕たちはメアリーとダニエルが僕の予備のテントを送ってくれることに希望を託す事にした。

偶然か、運命か、または神の導きか-午後遅く、歩いていると脇に寄せている車があった・・・僕は信じられない気分で、数秒後『ハロー、メアリー』と言う勇気を呼び出した。ドライバーのみせる僕たちに対する興奮した様子が、僕の疑いを確信に変えた。彼女こそが、今週の問題を解決してくれる人として登場してくれる事を僕たちが願っていた、メアリー・フィーニーだ。

近くのガソリンスタンドに連れて行かれ、新聞で僕たちの事を読んだオーナーのもてなしも加わり、見た目上偶然の出会いは続いた。緑茶をごちそうになり、事態を改善するため、電話を自由に使わせてくれた。ダニエルに電話すると、彼女が夜メアリーの家にテントを直接持ってきて、翌日の山登りに参加することになった。

メアリー―土砂降りの雨の中運転していると、とっても大きな荷物を持って私の村への山道をトボトボ歩いている三人の外人を見つけた。私は驚き、同時に興奮した。私のいるの田舎の村では、外人なんて見たことがない。ましてや徒歩の旅行者なんて!私は車を向け、彼らに雨宿りを申し出た。こういう風にして、ポールとトムとベンは、私の生活の中登場した。

5 分もしない内に、私たちはガソリンスタンドに中で緑茶をすすりながら翌日の山登りの計画をしていた。もちろん彼らは、次の目的地へ車で送る、という申し出を受ける訳はなかったけど、私は温かいシャワーと乾燥した布団と翌日の山登りへの参加を申し出た。私は英語を話す三人の旅行者を仲間に得て、とても興奮した。私の日本での生活は、数多くの一人旅で成り立っていた。

白根山( 2578m ― 67 番目の山)

9 月8 日 土曜

209 日目―12.5km

Tom, Ben, Danielle, Mary and Paul on the peak of Shiraneベン―僕は、山でリラックスする事が出来る、という事を忘れていたようだ。もちろん、恋人と時間を過ごせたことや、メアリーと知り合った事が大きいんだけど、山登りの最中ずっと喋っていた事や、日本人の登山者達と立ち話をした事や、頂上でお菓子を食べたりした事で、単なる山登り以上のものになった。山での僕の焦点は、速さや距離から一緒にいる仲間との喜びに移った。これこそが、僕がこの日本での山登りで見失っていたものだ。僕たちは、メアリーの村の温泉に行き、食事をし、僕を驚かそうとダニエルが持ってきた、数日遅れの誕生日プレゼントを開けることで、この日を完全なものにした…最高!

メアリー―今日私たちは、みんなで白根山を登った。ゆっくり、ワイワイと喋りながらだったので、とても楽しい山登りだった。私たちは、色んなの事について洗いざらい話した。頂上に着くと、トムとポールと私は別ルートで下り、綺麗な湖に立ち寄った。曇っていて頂上からは何も見えなかったので、これはとても嬉しかった。

9 月9 日 日曜

210 日目

怠惰な日曜の午後

トム― 30 人の英語教師を率いて地元の山へ登るため、メアリーは夜明けと共に起きた。雨が降っていて、僕たちは誰も彼女の仕事を羨ましがらなかった。というより、誰も手伝おうなんて考えもしなかった!僕たちは彼女のアパートで、日記を追いつかせたり、音楽を聞いたり、テレビを観たりして一日中くつろいでいた。三時頃には帰るだろうと思っていたんだけど、その山登りは思ったより時間がかかり、メアリーは七時半になってやっと転がりこんできた。彼女の次のリストには、次の日の授業の為にダニエルを駅まで、電車に間に合うよう車で送る、という仕事があった。この女性に安息の時なない !

メアリー―今日は朝早く、 80 近くの日本の山を登った 3 人の男たちを部屋に残し、 30 人を率いて穂高

山への山登りへ向かった。この状況の矛盾は変な気持ちだ。暗くなってから、雨に濡れ疲れ果てて、すっかりリフレッシュして綺麗になったお客さんたちの元へ帰った。彼らに休んでいてもらった事は、彼らにとっても、私にとっても、私のアパート(腐った靴下の臭いが漂いだしていた)にとっても良かったのだと、私は思う。

皇海山( 2144m ― 68 番目の山)

9 月10 日 月曜日

211 日目― 50km

落石と山崩れと激流と

A rather blase Paul and Tom challenge the elements to peak  Mt. Sugai トム―夜の間に、二度目の大型台風が直撃した。僕たちは、ガタガタと窓を揺らす風と屋根を叩きつける

雨の音で目を覚ました。金曜日、皇海山への道は閉鎖されていて、危険であるとの警告を受けていた。大勢の善意の日本人たちが、山道の安全だけは確保するようにと、様々な危険について警告するのを聞いた。 だから僕たちは、天気に関わらず山と道について、よく話し合う事に決めていた。

僕たちは、最も普通の道をずっと歩き続けた。もう少しで落石に当たりそうになったし、ベンの足下の道が崩れ、彼はあやうく急斜面から落ちそうにもなった-彼は、山崩れで崩壊した道路と交差する道をチェックしていた。

22km 歩いたところで、僕たちは山道の終わりまで行き着いた。雨はまだ、バケツからぶちまけているように降り続けていた。地図によると、頂上に行くためには、かなり大きな川を歩いて横切らなければいけないようだった。僕たちはお互いの肩の周りに腕を組んで、三角に陣形を作ってゆっくりと横切った。水は太股の真ん中まで増水していて、もし誰かが足を滑らせたら20 フィート程の連続した堰の上を流され大怪我を負い、最悪の場合… 。

『戻ってきた頃には水位は上がっているだろう… 』対岸へ渡り終えた時、ポールはそう言った。頂上へは、幾つかのより小さな渡河と、簡単な30m の滝登りが残っていた。1 時15 分に頂上に着き、急いで証拠写真を撮り、ずぶぬれのサンドウィッチを食べ、すぐさま下山にかかった。

さっきの大きい川に戻ると、水位が上がっていた。2 回川越えを挑戦してみた後、他の方法を探すことにした。僕たちは、上手くすれば来た道の近くに出られるかもしれない、尾根の脇の急斜面を乗り越える事にした。登りは問題なかったのだけれど、下りは滑りやすく、ポールは泥の上を少し滑り落ちた。そして背の低い茂みにぶつかると、道があった。ベンと僕は、嬉しくて思わず踊り出してしまった。

この山は、普段は簡単に登れる山だろう。でも、今日は命を失う可能性が、現実的にあった。

帰り道は、来る時よりずっと早かった。山崩れを起こしている道の一帯がロープを張って支えられているのを見た。村に帰り着いた時、もう暗くなっていた。メアリーの部屋に帰ると、僕たちを心配してくれていた教師達に会った。彼らは新聞で僕たちのことを読んでいて、僕たちの

メアリー― 朝早く、彼らが皇海山に向かうのを見送った。心配で、とても長い一日だった。過去十年間で群馬に直撃した中で一番強力な台風が、一日中雨を浴びせ続けた。私の学校の誰もが彼らのことを心配した。はじめは、日本人は心配症だからと彼らの言葉は気にしないように努めた。でも、7 時半を過ぎ、体育館の屋根が雨漏りして、バレー部の部活を中断した時、彼らが無事帰ってこれるか心配し始めた。でももちろん、10 時に部屋に帰った時、3 人の、汚れを落とした、笑顔の、くたくたに疲れた旅人たちがいた。

9 月11 日 火曜

212 日目―31km

雨が降り、雨が去り

Ben, Mary and Paul relaxingポール― 今日起こった一番興奮する事は、僕たちみんな-メアリーも含めて-ゆっくり眠れたって事だ。雨の中での50km 、13 時間は僕たちにいくらかの疲れを残していたし、台風はまだ強く、メアリーの学校を休校にしていたので、誰もベッドから跳ね起きて歩き始めよう、って気にはならなかった。

Spectacular sceneryメアリーが僕たちを、複雑に入り組んだ片品村の境界線まで送ってくれている間、雨はやんでいた。彼女が別れて走り去るとすぐ(彼女は普段走っている道の始めの半分を、僕たちのために歩いてくれた)、雨が降り出して、同様に僕の気持ちも沈んだ。

Magnificent views4 時頃、美しい山道だったのだろうけど、所々で事実上の川になっている道を登り終え、昼ご飯を食べるために止まった時もまだ、雨は降り続いていた。公衆トイレの中で、寒さに縮こまりながら熱いスープと麺で体を温めた。

ありがたい事に台風は力を失い、僕たちが山道を抜けた所で、荘厳で重々しい見晴らしの中に、どこかスコットランドの雰囲気を持つ谷を反対側に見つけた。近くの湖に吹き付ける風を防いでくれる並木道の、中の小道の上に、僕たちはキャンプを張った。

男体山( 2228m―70 番目の山)

9 月12 日 水曜

213 日目―32.5km

The team consult the Mt warrior on the way forwardポール― 僕たちが料理に使ったりした水がどれ程碧いかに驚き、久しぶりの太陽を背中に感じながら上機嫌で69 番目の山に向かった。

『アーサー王』的に岩に刺さった12 フィートの日本刀と、髪を振り乱したすさまじい表情の武士が、男体山の火口がむき出しになっている頂上で待ち受けていた。僕たちは太陽の中座り込んだけど、下の方で渦巻いている雲が、あの谷を景色から隠していた。親愛なるコンノさん。AAR の僕たちの担当者で、このささやかな旅を疲れることなくメディアに宣伝してくれている。彼がその雑誌のインタビューの事を僕たちに伝えてくれた時、僕たちの知識の不足を補ってくれた。『山と渓谷』。20 万人の読者を持つ日本の山や谷についてのアウトドア雑誌で、僕たちの山登りの日に同行したいんだって!

Tom meditates in his Snugpak僕は、これよりすごい星空は、身を切るように寒いスコットランドの夜にしか見たことが無いと思う。雨もやんだので、スナッグパック社製の寝袋は外でも快適に眠れるかどうかテストする事に決めた。、摂氏3 度の低い気温の中僕たちはみんな気持ちよく眠ることが出来、スナッグパックへの信頼を深めた。雨が降っていなければ、キャンプは何倍も楽しい。

9 月13 日 木曜

214 日目―40.5km

ただ通り過ぎるのみ

ベン― 間違いなく、どんどん寒くなってきている。早く冬服が必要になると思う。T シャツを着て(実際僕が持っている服はこれだけ)朝食を取る時、自分たちの吐く息を見ることが出来た。今日は足首がヒリヒリして、歩く時ずっと鈍い痛みがしたので、おおむね不機嫌だった… ただ、疲れたと思うだけだった。片品村への道は、僕が覚えていたより長く、険しかった。そして、日用品を買うために村に立ち寄った。メアリーに会う時間は無かったけど、翌日の山登りに参加しないかと書き残した。

その夕方遅く、もう一人のメンバーが翌日の至仏山に参加するという電話を受けた。僕たちはいつだって仲間を歓迎するし、新しい人に僕たちのこれまでの話をするのは楽しい。そして、ミス・フィーニーをもっと知る機会を持てることは何より嬉しい。

至仏山( 2228m―70 番目の山)

9 月14 日 金曜

215 日目―24km

Quite a gathering of climbers on top of Shibutsu Sanベン― 今朝もまた、自分の足首と、そして気分と戦っていた。僕の肉に刺し血を飲む小さな虫たちが、より悪化させた。しかし、僕のテント仲間、トムは元気で、こちらまでウキウキしてくるような陽気さを持っていて、それは本当に伝染してくる。そしてメアリーが牛乳と果物を持って到着した時、若く、人といることを楽しめる自分への転換は完全なものになった。

登る途中、景色は見えたり見えなかったりを繰り返した。そしてその山道は、見晴らしの良い、岩肌の尾根へと続いていた。ポールと僕が以前イギリスでたてた山登りのプランで、僕は一人で山頂に向かう

僕が仲間たちと合流した時、彼らは大勢の人たちと喋っていて、その人たちは僕たちと写真を撮り、精一杯励ましてくれた。不思議な気がしたけれど、僕たちの事を聞き知っていて、地雷のことについて、そして自分たちが何を出来るかについてより深く考えているたくさんの人たちと会ったのは嬉しかった。

山から下りると、僕たちは次の山の小道へ向かった。そしてその後、メアリーの部屋に帰り、シャワーを浴び、早い時間に眠りについた。

メアリー― 今日は仕事を休んで彼らと至仏山に登る時間を取ることが出来た。山登りしながら会話するのを、もう一度したくて仕方がなかった。ベンは楽しそうにいくつかの岩を上手に乗り越え、近道をした。山頂でトムが大阪から来て山登りをしている人たちと話しているのを聞いて、Adopt-A-Landmine とAAR に関してどれだけの情報を人々と共有することが出来るかを知った。

武尊山( 2158m―71 番目の山)

9 月15 日 土曜

216 日目―33km

トム― 約束通り、メアリーは朝6 時半までに僕たちを部屋からたたき出してくれた。僕たちは彼女の車の中に積み重なった。車の中は汗をかいた足の、かなり刺激的な香りがした!山道の入り口で、僕たちは一時間くらいルートを探していた(僕たちは詳しい地図を置いてきてしまった)。1 時に山頂に着き、そこで何人かにチラシを配った。

下りのルートは険しかったけど、僕は元気があり余ってたから写真を撮りに先を走り続けた。麓に着くと、メアリーとポールはヒッチハイクでメアリーの車に向かった。ベンと僕は次の山頂に向かって歩き出した。2 時間後、メアリーとポールは僕たちが車に置いてきた荷物を持って合流した。僕たちのプランではキャンプする事になってたんだけど、メアリーの畏れ多いほどの寛大さが光り輝いた。彼女は僕たちを部屋まで車に乗せて帰り、日曜日の夕方に乗せてきてくれると申し出てくれた。僕たちはその申し出に飛び上がり、帰り道に(Billy Elliot の)ビデオを借り、ビールを買った。

メアリー― トムは優しいから日記には書かなかったけど、山頂へのルートを見つける前に6km も回り道したのは、私が地図を部屋に忘れてきたからだった。馬鹿な私は、地図が車の中にあると思っていた。もう二度と、再確認する事を面倒臭がらない。彼らはみんな、その全てに対してとても寛容で、自分たちもいつだって、同じ種類のミスはするよ、と言ってくれた。でもやっぱり、彼らを迷子の蟻みたいに歩き回らせた事を、とてもすまないと思う。

(私にとって今週二回目になる)武尊山から下りた時、ポールと私は車までヒッチハイクで戻った。初めに乗せてくれたのは「ドライブデート」から帰る途中のキュートは日本人のカップルだった。彼は自分の格好良い車とスムーズなドライブテクニックを見せたがった。次に乗せてくれたのは家族旅行の車だった。

ポールは知らないだろうけど、帰り道ずっと2 人の10 代の女の子が彼のことをうっとりと見つめ、くすくすと笑っていた。先週ポールといる時、彼がどれだけ格好良くてハンサムでキュートかを言う日本語のコメントを数多く聞いた。多分これらのコメントは、トムがポールに日本語を翻訳する時無視されていると思う。

9 月16 日 日曜

217 日目

橋の下でのパーティー

トム― 今日は教会へ行く事が出来たので、ミツ(メアリーの友達の1 人)と一緒に出かけた。彼女はいつも出席しているそうだ。礼拝は10:30 から14:30 まで続き、祈祷、賛美、講話、昼食と日曜学校(5 才の子供が折り紙の冠を教えてくれた)という構成だった。教会は僕らの行っている基金に気前よく寄付してくれた。教会と、そしてナツと親睦を深められたのは良かった。彼女は本当に、外見も内面も美しい人だった。

メアリー達とは14:30 に会った。彼らは休んだり、最近の日記を書いたりして朝を過ごしたようだった。僕たちはメアリーにキャンプの食事を作ってあげると提案していた。だから食料を買いに店にちょっと立ち寄った。太陽の下で身震いしながら、子供のグラウンドで遊んだ後、温泉に行った。リフレッシュしたのを感じながら僕たちは昨日車に乗った場所まで戻る事にした。

戻る途中に雨が降ってきたので、橋の下の比較的平らな場所を見付けて、パスタを作り始めた。普段の貧しい生活ぶりをメアリーと少しだけ共有したのは素晴らしいことだ。彼女は、彼女の親切がどれ程僕たちの中で大きいものであったかを、全部理解してくれたと思う。お互いのために祈った後、さよならを告げ、彼女の車が雨の中去っていくのを見届けた。

メアリー― はぁー。残り一日。ポールやベン、トムとぶらぶらしてくつろぐのは、彼らと山登りをするのと同じくらい楽しい。昼食を取ったり、遊んだりしに公園に行った。その後、お湯に浸かりに温泉へ行った。もちろん、休みの日はすぐに時間が過ぎて、気が付けば暗くなっていた。だから、私たちはキャンプに戻り、そこでベンが美味しい夕食を作ってくれた。

それは素晴らしい食事だったけど、私はその夕方ずっと、私たちの前に立ちはだかる別れの時を恐れていた。私は、まるで一生の友達と別れを言うみたいだった。この

谷川岳( 1963m―72 番目の山)

9 月17 日 月曜

218 日目―20km

A pair of legs speed up the rocky cliff-faceポール― 来月号の『山と渓谷』には僕たちが載っている。へんてこなインタビュー、アツコとトオルは午前中いっぱい使って、半分まで一緒に登ったけど、まとまった質問は一度もなかった。彼らがどんな記事を載せるのか、全然分からない!日本にいて、彼らがどんな記事を書いたか見たい人は、10 月15 日くらいに出る、11 月号をどうぞ。

昼食の後、彼らと別れて強烈な尾根に取りかかった。まるで現実の屋根のように山頂全体にかかっている雲の中へ、岩で出来た尾根が屈曲しながら続いている。僕たちの強さを証明するために、崩れやすい岩と埃の雲の中へ、突風のようにアツコとトオルの元から飛び出していこうとトムが決めた。運悪く、彼のアイデアは僕とベンには伝わっていなかったから、迅速に霧の中を登っていく屈強の3 人組のかわりに、トオルの最後の写真は、着実に進んでいる2 人組の前を全力疾走する孤独な人物を捕らえていただろう。悲しいけど、よくある事だ。

Tom is impressed by the view谷から見渡したこの山は、木の生い茂っている部分の上を見ると、本当にスコットランドの山のように見えた。そこはまた、日本で最も大きな岩壁としての威容を誇っていて、他のどの山より登山者に登られていると思われる。岩で出来た尾根を歩くのはとてもスリリングだったというべきだろうけど、証拠写真を撮った後、素晴らしいと評判の景色を僕たちは二度と見なかった。

山頂への一番大きな尾根を歩き終えた後、竹林を抜けて、もう一つ違う尾根をすっかり暗くなるまで練り歩いた。霧のこと除けば、素晴らしい山での一日だった。有料の山小屋で水をただで使い(普段は法外な料金を取る)、緊急用の山小屋を寝場所に確保し、今日の一日の締めくくりとした。僕は本当に霧の中から出られて嬉しかった。世界は僕の頭の懐中電灯から出るぼんやりとした光の束の中だけに縮まって、もう少しで閉所恐怖症になる所だった。

巻機山( 1967m―73 番目の山)

9 月18 日 火曜

219 日目―39km

The team on the summit of Makihataポール―今日の山の入り口は、昨日のほとんどを過ごした尾根の、すぐ裏側から始まっていた。朝10 時くらいに、雲に隠れて頂上が無いように見える、急斜面に木の生い茂る素晴らしい坂の下で準備をした。汗をかきながら坂を登ると、木々の向こうにLake District (イングランド北西部の美しい湖水地方)を思わせる草に覆われた坂があった。時折雲の切れ間に傷のように走る山道を頭上にかいま見ることができた。

特に気づきもせず百名山の頂上を遙かに通り越して、違う頂上まで行ってしまった。その山頂標識が、僕たちがどれだけ歩いたかを気づかせた。帰り道、また違う雑誌が僕たちを紹介したいと言ってきていることを、コンノが電話で知らせてくれた。事態は上手く進み続けている。

荷物を置いてきた所に戻り、スクーターに乗った老人に見られながら、靴下を洗った(本当に死ぬほど臭い)。そして、谷へ、文明世界へ向かった。僕たちは店が開いている時間に間に合うかも、との期待をしていた。そうすれば、翌朝時間をつぶさなくていいからだ。僕たちは急ぎ足で幾つかのスーパーマーケットへの標識をたどった。どの店も閉まっていた。僕たちは疲れて不機嫌になりながら、料理したり寝たりする公園の最も暗い一角のベンチからなんとか若いカップルを追い払った。

9 月19 日水曜

220 日目―23km

裸での大岩登り

ベン― スーパーマーケットはなんて身勝手な時間に開くんだろう… 。これが日曜日なら分かるんだけど… 。とにかく開店の時には店の前にいて、これから5 日間山で過ごす分の日用品を買った。しばらくの間かなりの時間を山で過ごしているので、必要だった。

今晩までには魚沼駒ヶ岳を登り終えたかったけど、スタートが遅かったことと、究極のキャンプ場所を見つけたことが僕たちの計画をより良く変えた。トイレとフランス窓と、バルコニーを備えた二階建ての建物が僕たちを待っていた。どこで聞いても、共有の建物は、ちょっと古いものばかりだと確かに言う。話は良くなり、僕たちの宿泊所は天然のプールがある川が目の前にあり、もっとすごいのは、巨大な岩があった事だ!

トムが裸足で足をかけ、よじ登り始めたのを見て、僕もクライミング用の靴を履いた。ポールのすっかり痩せた体を覗き見てから、知らぬ間に僕の奥深くに潜んでいた露出狂が、靴とバッグを残して僕の服を全部脱がしていた!その光景はポールのタイミングの良い写真のおかげで見ることが出来るし、多くの人に見られるだろうと確信しているけど、その光景は、ポール自身もすっぱだかだという事を知って初めて完全になる!

魚沼駒ヶ岳-熊ヶ岳-( 2141m―75 番目の山)

9 月20 日 木曜

221 日目―25km

Top knots on Kuma - ga - takeベン― 僕のことを知る人たちは、僕の熊に対する執着は知っているかもしれない。彼らが思い起こさせる、放浪する力強い性質が大好きだ。これは「熊ヶ岳」と呼ばれる山に強い興奮を感じる理由の1つだ。1500 mの登りは険しい尾根だった。3週間前に体調が悪くなって以来、初めて全身に力がみなぎるのを感じた。もし足首が痛くなければ、この山を駆け上ってしまうことが出来たと思う。

A clouded vistaこの尾根が大きい尾根と合流した所で、僕は軽くスケッチをするために立ち止まった。今僕たちと、一番近い山の間には、草原のような雲がかかっていて、飛行機からみているような光景が広がっている。この光景はすぐに消え、記憶とひどいスケッチの中にのみ閉じ込められ、雲は山頂まで巻き上がった。間もなく、雨は僕たちを山の外まで追いかけてきて、僕たちは次の山に向かった。僕たちは、無料の温泉がこの見捨てられた道のどこかにあると聞いていたので、その発見によってこの素晴らしい1日の最後を締めくくった。

9 月 21日 金曜日

222 日目―25km

ちぢみあがるほど寒い日

Ben catches up with some writingトム― 午前中は貯水池と、その無数の入り江と岬の周りをトボトボ歩いた。この道は2、3本の橋といくつかのトンネルとを作ることで、簡単に半分にすることが出来るのだけど、『でもほら、1km 余分に歩くごとに、それだけ多く募金が入るんだ』。僕たちは平ヶ岳を登る山道の入り口に14 時に到着し、釣竿やサンダル等の不必要な道具を出来る限り捨てていくことに決め、高地でのキャンプをするため素早く登山を開始した。

もし雲が景色を全部隠してしまっていなければ、この登山はすばらしいものになっていたと思う。僕たちは18 時に高原に着き、キャンプを張った。身を切るように寒く、僕はちぢみあがって気が付くと『ポール=ブリファイズム』を使っていた。乾いている衣類の全てを着込んで、僕たちは寝袋の中に潜り込んだ。

平ヶ岳 (2141m―75 番目の山 )

9 月 22 日 土曜

223 日目―26km

At the top of Hira - ga - takeトム― 目がさめるとテントのジッパーが凍り付いていて、水滴が10 センチ程のつららになって中にぶら下がっていた。

夜間、1 人用テントのポールの方から変な音がするのが聞こえていた。取調べの結果、彼は体を温めるため、絶えず体を動かしてなければいけなかったのだと分かった。

Paul takes a break7時半に山頂に着いた。雲間から差し込む太陽が、尾根と周囲の山々の素敵な景色を見せてくれた。麓に着く頃までには僕は汗ばむようになっていて、道具を外に出して乾かすことが出来るくらいに気温も上がっていた。

午後の間、僕たちは燧ケ岳に向かって歩き、15:30 頃に到着した。気温はまた下がったけど、まだ4~5 時間の登りが残っていた。朝、歩き始めてすぐにベンが足をひねっていた事なんかも考え、今日はここまでにして巨大な駐車場でキャンプをする事に決めた。旅の記録を書き、食事をした後、明朝の早い出発の為に早々と眠りについた。

燧ケ岳 (2356m ― 76 番目の山 )

会津駒ケ岳 (2133m ― 77 番目の山 )

9 月 23 日 日曜

224 日目― 26km

Fellow climbers sign the flag at the top of Hiro-ga-takeベン―僕たちの眠りが破られたのは寒かったからというだけではなく、山を登るために騒がしく夜明けを待つ集団のせいでもあった。4:30 に起き6:00 に出発するまでに、この丘にいる人たちの病的なまでの重装備と、僕たちの、腰の周りに巻いたフリースのポーチと水筒を入れるためのキャリアーバッグだけの装備を見比べた。僕たちは何百もの日本人登山者とすれ違ったが、その大部分は巨大なバッグを抱え込んでいたと思う。―彼らが山の上に何を持っていっているのだろうか、本当に不思議だ。

8:15 に山頂に着いた。その景色は素晴らしかった。見渡す限り、雲は無かった。周りを見ると、この2 週間で登った全ての山を一度に見ることが出来た。頂に雪を冠した富士山までが、遠くに見ることが出来た。

The second peak of the day, Aizu Koma燧ケ岳のあわただしい登り下りには4 時間ぐらいかけた。僕たちは、その間中『がんばって』『はやいね』という言葉ですれ違う登山者から励まされた。

下山してすぐ、僕たちはまた登山をする。次の山『会津駒ケ岳』は、下りた谷の向かい側にあり、今回登っている12 の山々の、最後の山だ。最後の一日の、太陽をいっぱいに浴びている5km の尾根をゆっくりと登り、山頂に向かった。景色だけが、僕が山に登る目的という訳ではないけど、(雲によって)ずっとはばまれていたので、美しい景色がどれほどの力を持っているかを思い出した。

僕たちは素早く下山し、日が沈む頃には山の麓の村に着いていた。僕たちは凍える夜に、前もって考えておいた暖かい場所を探した…それはトイレだ!

9 月 24 日 月曜日

225 日目― 27km

トイレの邪魔者!

ベン―僕たちはどこでだってキャンプできる。それは疲れ果てて人が見てどう思うかなんて気にならなくなったら、誰だって上達することが出来る技術だ。公衆便所に入って小便をしている間、3 人の外人が足元でお粥を食べていたら変に違いない…異常者だとさえ思うかもしれない。でも僕たちは笑って子供じみたお喋りをし、生活を続ける。

冬は確実に近づいている―少なくとも太陽が昇り、谷が日の光で満たされるまでは、そう感じられる。僕たちは78 番目の山に向かって2 日がかりの移動を始めたけど、ホームページの更新を追いつかせるために半日休みを取ることにした。福島県南部の小さな村で買い物をした。そこで、その店の女の人たちに、なんとか日本語で自分たちが何を何のためにしているかを伝えるという、初めてのことをする事が出来た。

もしかしたら僕のいかめしい、でもハンサムな外見(僕の髪は無造作に伸びつづけ、作りかけのあごひげがあった)のせいかもしれないし、多分僕たちがサンドイッチを欲しがって仕方ないように見えたからだろうけど、この女の人たちは僕たちに熱いコーヒーと梨とリンゴとミルクをくれた。

僕たちは歩きつづけ、ポールとトムは彼らが共に読んだことのある登山の本の話を楽しく語った。今日のチームの雰囲気は、ガヤガヤとやかましかった。こういうことは珍しいのだけど、どんなことでもチームとしてやることは、チームとして上手くやらなきゃいけない、と今日僕は思った。

9 月 25 日 火曜日

226 日目― 32.5km

からっぽの温泉

トム―僕は朝、すごく早くに起きて、僕たちのキャンプの隣にある露天風呂にただで入ろうとした。タオルを腰に巻いて壁をよじ登り、発見できたのはお湯を抜かれ、からっぽになった風呂だった!

その後午前中は、トンネルが使えなくなっていたから長い道をトボトボと歩いた。僕たちはこの日、一日中多くの人と電話で話した。その人たちは、僕たちの新しいスポンサーで服を送ってくれたトム(ÿスポンサーのページ 参照)や、2 つの地方紙が僕たちの旅について書きたいと言っている、と伝えてくれたAAR のコンノさんや、乗鞍岳で出会い、福島で泊まる場所を提供してくれると言ってくれたハットリさんや、素晴らしい群馬の友達メアリーだった。

那須山 (1917m ― 78 番目の山 )

9 月 26 日 水曜日

227 日目― 31km

The summit of Nasu-sanトム―僕たちは荷物を放り出して、山頂を占領しに行ける場所を目指して道を登った。この1 ・2 週間痛んでいるベンの足首のせいで、彼は随分苦しんでいる。山頂への小道を歩いていると、綺麗な湖に出会った。山頂での証拠写真を撮った後、ベンは下山をはじめ、ポールと僕は新聞のインタビューについて、コンノさんから電話がくるのを一時間半程待った。荷物の所に戻り、今日はここまでにすることにした。平らな芝生の場所にテントを張った。運悪く、その地面は尖った栗の実で覆われていて、テントの床に小さな穴をあけた。

9 月27 日 木曜日

228 日目―34 km

警察との小競り合い、再び

The kind family that took in the team when the police came, with their dogトム―僕たちは10 km歩き、インタビューされる事になっている駅まで行ったけど、結局そこで働いている女性に、インタビューがキャンセルになったということを聞いただけだった。僕たちはこの日の食べ物を買い込み、会津若松という街へ向かった。そこでは翌日2 つの新聞社と会うことになっていた。

この道は本当に退屈で、なぜか決めていた道を外れてしまい、ポールと僕は、ベンが前を歩いているのか後ろを歩いているのか分からなくなってしまった…。

僕たちが立ち止まると、彼は痛んだ足首でよろめきながら追いつき、道に倒れこんだ。夕方までに、僕たちはみんな疲れ果て、睡眠を求めていた。僕たちは安全な駐車場内でテントを張り、寝袋を横たえ、夕食を作った。

30 分ほど寝たところで、犬の散歩をしている人が、僕たちが何をしているのと聞いてきた。説明すると彼は、出来る限りのことをさせてくれと頼んできた。5 分後、彼は戻ってきて彼の家に泊まるよう勧めてくれた。

ちょうど懐中電灯を手にした警察が来て荷造りをしていたところであり、3 人の巡査が、僕たちが何をしているのかを詰問し、パスポートをチェックしようと飛び上がっていた。彼は、全て心配することはなく、僕たちが彼の家に泊まることになっていることを説明してくれた。安全な彼の家の中で、彼の奥さんが作ってくれたおにぎりを食べた。犬が隅っこでちぢこまっている間、雑談をし、ニュースを観た。犬の散歩をしていた人(僕たちは結局彼の名前を覚えることは出来なかった)は、彼の旅行の経験を話してくれ、その経験がどれだけ彼に僕たちを助けたいと思わせたかを話してくれた。

9 月 28 日 金曜日

229 日目― 32 km

新聞のインタビュー、いっぱい

The team interviewed ベン―僕たちの初めのインタビューは9:00am に8 km離れた街であった。昨晩泊めてくれたこの愛すべき夫婦は、僕たちが急げるようにおにぎりを作って、持たせてくれた。

僕は自分が遅刻の原因にならないように、出来る限り急いで歩いた…僕の足首はどうしようのない奴だ…僕は何をすべきかを知ろうと躍起になり、絶え間ない痛みは僕にどうすべきかを絶えず考えさせた。

僕たちは朝日新聞の事務所に着き、ひどい写真を除いては、素晴らしいインタビューを受けた。僕たちは磐梯山に向かって歩き、途中で次のインタビューを受けるため駅に寄った。このインタビューは極めて短く、僕たちは次の山に向かった。途中、ハットリさんから彼と会う予定が変更になったという電話を受けた。

僕たちは、僕がどうすべきかをチームで話し合った。僕はペースを維持するのに必死になるようになり、痛みで気分も悪くなり、両足ともどれくらいもつのか分からなくなってきた。僕は、休息こそが僕の持つ唯一の選択肢だと決めた。素早く近づいてくる冬のことも考え、仲間たちがこの旅を続行するためには、そうすべきなのだと。磐梯山を登り、服部さんと過ごしてから僕は仲間を外れる。

僕たちの友達、ハットリさんは彼の友達の一人と一緒に、僕たちと会うために車を飛ばしてきてくれた。そして、新しいスポンサーのパラモ(ÿスポンサーのページ 参照)が送ってくれたいくつかの小包を持ってきてくれた。週末のプランをたてた後、トムはパラモが送ってくれたオーバーオールと山用のシャツ、ジャケットを着込んでビリー・エリオットのように(ポールの言葉-両足と奥に潜んだ優雅さが!)踊った。郵便物の中には僕の弟からのMDが入っていた。僕は素晴らしい音楽とエディ・イザードの引用の中で眠った。

磐梯山 (1819m ― 79 番目の山 )

9 月 29 日 土曜

230 日目― 25.5km

Bandai - yeah!ベン―小便をするために2 回起きなきゃいけなかった・・・1 回目僕は裸で、テントに帰るまで凍りつきそうだった。2回目は完全に着込んでいたけど、ちゃんと働かない足首のせいで完全に転んだ。僕たちは素早く山を登り、山頂に座って極寒風の中、シャープで働いているという3 人と話した。彼らは、僕らが市販されている最も良いデジタルカメラを持っているのを見て、喜んだ( スポンサーのページ 参照)。下り道、1 人の男が立ち止まり、ポールと僕を指差して、「乗鞍岳?」と言った。

Mr. Hattori and his wife's marvellous spread僕たちは、彼が北アルプスでハットリさんと同じ時に出会った人たちの1人であると気付いた。彼は僕たちを近くの山小屋に連れて行き、ビールとみそ汁を飲み、みんなで大騒ぎをした。彼らは僕たちに、今日の新聞を見せてくれた。そこにはひどい写真が載っていた。

僕たちは荷物のところに戻って、約束の場所に向かった。ハットリさんの家に着いてすぐ、皿いっぱいの寿司とケンタッキーとで、僕たちはパーティーをはじめた。僕たちは、ビックリするほど快適な和製テーブルに出会った。低いちゃぶ台の周りに座るといつも足がしびれて困る。ハットリさんのテーブルは、足元が沈みこんでいて、床にはヒーターがあった。こんなに座るのが嬉しいものがあるなんて!

9 月30 日 日曜

231 日目

ハットリ・ミツギとの休日

The processionベン―町での1 日に備えて、僕たちは朝早く起き、鮭ご飯とみそ汁という日本の伝統的な朝食を食べた。ハットリさんは、菊人形展のオープニングセレモニーに僕たちを連れて行ってくれた。子供たちの楽団を観た。インディー・ジョーンズのテーマをMr. Hattori with Ben and tom at the Chrysanthemum Doll show学校の楽団が演奏しているのは格好良かった。ハットリさんは日本の伝統的な昼食に連れて行ってくれ、温泉と彼が建てた家の1 つに立ち寄った。その後、もちろんまたごちそうで、ハットリさんの奥さんが僕たちのために再び用意してくれていた。

各月ごとの日記―

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