6月1日 金曜 110日目―0km 彦根にて ベン―「僕がベッドから這い出した時には、すでにトムがパンケーキをどっさり作り、ポールは鼻歌まじりにシャワーを浴びて、ティムは仕事に行ってもう帰ってきていた。僕は朝早いうちから、こんなにてきぱきとやっていけないよ。トムとポールはEメールをやりに、キャットのところへ出かけた。その間、僕はティムと一緒に、とても大事な小包が届くのを待っていた。 正午、フェデックスが箱を1つ配達してくれた。中身は、南アルプスで水ぶくれをさんざん味わった後に、僕たちが心から待ち望んでいたものだ。 僕の母親が僕たちと足のために、コンピードのメーカー(スポンサーのページにリンクが貼ってあります)に働きかけてくれたのだ。コンピードはお金で手に入いるものでも、最高にいい水ぶくれ用ばんそうこうさ! ママのおかげで、メーカーはこの旅のスポンサーにもなってくれた。コンピードの寛大な援助は、まちがいなく痛みをやわらげ、新たな苦痛を防ぎ、おそらく旅のスピードアップにもつながるだろう。その夜、また同じイタリアン・レストランで食べまくった。彦根で最後の外食だった」 6月2日 土曜 111日目―0km まだ、ここにいる! ベン―「キャットは、親切にも夜中ずっと僕にEメールをやらせてくれたし、ベッドまで使わせてくれた。ぼくは、その親切のお返しとして、羽毛ぶとんに2回も鼻血をかけちゃったんだけどね! トムと僕は中央アルプスに必要なものを買い出しに、その間ポールはフライトを延長しに出かけた。他の小包も届いた。ビデオカメラのバッテリーの予備で、スポンサーのシャープからだった。(スポンサーのページにリンクが貼ってあります) それから、僕の故郷ランカスターから悲しい知らせも届いた。友達のジョーが死んだ。ぼくは、とてもショックだった。そうなるだろうことは分かっていたけれど、その事実で現実に引き戻された。でも、僕には実感がない。 その晩、いい仲間と一緒にいられたことがうれしかったし、ティムの中国料理の腕前も堪能した」 6月3日 日曜 112日目―0km 本当に出発するんだ… ベン―「今回、彦根を去るということは、付き合いの長い友人たちにさよならを言うということだった。ティム、キャット、そしてリンは、パッキングするときも、駅に歩くときも一緒にいてくれた。何本も電車を乗り継いで、何時間かすると中央アルプスのふもとにある目的地に着いた。寝る時間はとっくに過ぎていた。 そうこうしているうちに日曜は過ぎていった。そして、それと共に彦根での休みも終わった。これから、山へ登るんだ!」 空木岳(2864m―26番目の山) 6月4日 月曜 113日目―16km ポール―「日曜の休みが終わってまた歩くのは、普段からつらいものだ。彦根での休みの後で歩くのは、大変なことだった。 長くてつまらない電車の旅の後、橋の下で一晩過ごしてから、中央アルプスへ入る登山道に向けて照りつける太陽の下を歩いた。山道は林のなかを抜ける急登で、僕たちはみんな汗だくになり、『展望小屋』で荷物を放り出し休憩を取った。 その小屋は木に囲まれ景色も見えず、何を見ればいいのか書いてある看板もなく、僕たちは何も『展望』しなかった。でも、いい休憩にはなった。高く登るにつれ気温はちょうどよくなってきて、歩くのが楽しくなってきた。尾根の斜面にある道は、上に向かってくねくねと曲がっているし、這い登る箇所や、はしごのところもあった。その上、そこには『死亡事故多発』の看板まであったので、それはもう僕たち気をつけたさ! ハエにたかられた昼休みが終わり、溶けている雪の上とまつわりつく木の間を歩いた後、僕たちは林から抜け出したが、南アルプスのようにひどいことにはならなかった。林を抜けると景色はすばらしかった。山頂が見えるようになり、砂利道を歩くのが楽しくなった。今日1日2000メートルくらい登っていたので、山頂のすぐ下にある開いている非難小屋で泊まろうとちょっと思った。 けれども、気分がよかったので先に進むことにした。4時半に山頂に着き、写真を撮ってから、岩がごろごろした急な道を下り、尾根の鞍部にある他の小屋へ向かった。それは開いていなかったけれど、非難小屋があって、そこはテントで寝るよりはましだった。いい日だ。からっとしていて、長くて、楽しい日だった」 木曽駒ヶ岳(2956m―27番目の山) 6月5日 火曜 114日目―19km ポール―「その日登る5つの山のうち、最初の山頂に30分で着いた。小屋からまっすぐ足場のもろい砂の道を登っていった。次のターゲットである百名山、御岳が北のほうで雲の上に浮かんでいた。 尾根を歩くのに最高の日だった。雪は無く、木はひざ丈しかなく、道はアップダウンが多かったけれど激しいものはなかった。山に戻ってくるのにふさわしい出だしだ。4番目の頂上は最も楽しく、這い登らなければならない岩がごろごろしていた。そこで、登山をしているラグビー選手3人に出会った。3人はとてもフレンドリーで、興味を持ち、おかしばかり入っている袋から、僕たちに役に立ちそうなもの、ビスケット、チョコレート、水、トイレットペーパー、飲み物などをくれた。 その山を体験すると、本当の百名山はこぶみたいなものだった。証拠写真を撮っていると雨が降ってきた。けれども、それは恵みの雨となった。それがなければ、泊まることにした今までで一番豪華な小屋で、水のない夜を過ごすところだったのだ。そこは、畳、ふとん、毛布があるし、次の朝は1時間下りるだけで中央アルプスを終えることができる」 6月6日 水曜 115日目―33km 死人とキャンプ トム―「昨日のどしゃぶりも夜のうちにやみ、僕たちは歩き始め、山を出て、日本のいなかを抜け、短いが気持のいい歩きができた。北アルプスへ向かう途中にある、山2つを登るのに足りる食料を売っているお店を見つけた。買い物の後、とても静かな昼食を取るために腰をおろした。ただ、政治家が選挙カーを僕たちの前に止めて30分もメガホンでどなっていたけどね。それが終わる頃、雨も降り出した。 それから、何時間かはとても交通の激しい道路を歩き、御岳山に通じる道に入るまで大きなトラックに水しぶきを浴びせられた。御岳山は、とても宗教的な山で、神社やお寺がたくさんあり、山を登る巡礼者たちが訪れるのだった。おかげで、屋根のあるところで眠れる最高の場所を見つけた。墓地の中にね!」 御岳山(3067m―28番目の山) 6月7日 木曜 116日目―22km トム―「雨の夜が明け、草のしげった道を歩きはじめた。山を登っている間、ベンは頭痛に苦しんでいた。噴火口から出る硫黄のにおいも助けにはならなかった。 山は、急な傾斜にかろうじて建っている小屋がたくさんあり、チベットの山のようだった。12時に山頂に着いて、1時間日光浴をした。 ベンは山を降りる途中、お寺のわきにあるたくさんの大きな鐘のひとつで、太鼓演奏をやってみることにした。下りは急なまがりくねった道で、谷の底に続いていた。川のそばでキャンプをし、僕は泳ぎながら洗濯をした。今度はショーツを無くさないように気を付けながらね!」 6月8日 金曜 117日目―35km ベン―「いつものように、たくさん歩いた日。 僕たちが清潔にしていないと責める人はいないだろう。朝一番にみんなでやることは、体をあらって、川で洗濯することだ。焼けつくように暑い日は、すぐに僕たちの洋服を乾かして(その洗濯した洋服はもう着ている。だって、それしかないんだよ!)、さらに歩いている僕たちを焼きつづける。 トムとポールのふたりは、お昼のためにすこし食べものを残しておくとか食料の管理能力に優れている。でも、僕にはそんな能力ないからレーズン、ピーナッツ、ビスケットにチョコなどのゴープ(登山者の携行用食品)を朝ごはんのときに、ばくばく食べちゃう。ランチのために休んだ釣り堀で、そこの持ち主にビールとおにぎりをもらってどんなに僕はうれしかったことか! その日の終わりに、乗鞍岳の登山口に着いた。僕たちは座って、長い間話しをしていた。ただリラックスして、いろんなストーリーを話していた。小さな虫を追い払うために、小さな火のそばでラーメンを食べていた。僕は、食べられるんじゃないかと思った野草を入れた(道路わきの似たような草を、女性が取っていたのを見たんだ)」 乗鞍岳(3026m―29番目の山) 6月9日 土曜 118日目―20km ベン―「むしむししている朝、山を登っていると汗がどしゃぶりのように出た。登山は林からスタートし、道は川に当たり、竹の生い茂ったところをくねくねと抜け、ハイマツに覆われた尾根に出た。ガレた山の肩を登り、噴火口がある尾根に出た。僕はみんなよりちょっと遅れたので、雲が景色をさえぎってしまったけれど、人が大勢いるのが聞こえた! 僕が山頂に着くと、興奮しているたくさんの日本人に挨拶された。ポールとトムはすでに質問攻めになっていて、何人かバックパックの重さを調べていたりした。僕たちのことを新聞で読んで知っている人たちもいて、30枚くらい写真を一緒に取ろうと言われた(ココをクリックしてください。山頂からの写真が見られます)。 みんなの熱烈な歓迎と、有名になっているという実感にとても励まされ、山頂を後にした。僕たちは速く下山したが、気がついたら間違った方向に下りていた。有名な登山家だって、ミステイクくらいするのさ! 高山に行って北アルプス用の食料を買いに行くつもりだったけど、ヒッチハイクしてすてきな家族と一緒に松本へ行った」 6月10日 日曜 119日目 ラーメン全部プリーズ ポール―「凍るような朝、おいしい食事をし、手紙を書き、電車で移動。松本の真ん中で、インスタントラーメンがいっぱいあるお店を探していた。 2つのお店のラーメンを全部買った後、3番目のお店の在庫もすごく減らして、ラーメン88個、オートミール4.5キロ、ビスケット、ピーナッツとレーズンという14日間分の山の食料を手に入れた。 1人の店長と1人の清掃員だけが、何をやっているのか聞いてきた。あとの人は、僕たちがジップロックにラーメンを詰めたり、軽食をまとめたりしているのを、首を痛めながら見ていた。最初はお店の前で座っていたけど、夏の嵐が来たので、閉まった銀行の入り口の屋根がついているところに移動した。 とても親切なヤマザキさんが、僕たちを車に乗せて電話を返してもらう町まで戻ってくれた。それは、午前半ばまでかかってしまった。パッキングも終わり、店から電話を回収して(ある清掃員は、トイレで充電していたことを明らかに快く思っていなかった)、大きな荷物を持ってマクドナルドによたよたと歩いて行き、コーヒーにビスケットを浸しながら次はどうしようかみんなで考えた。 山に戻るためにヒッチハイクするにはもう遅かったし、日曜にトラベラーズチェックを換金することもできない。橋の下にあるホームレスのなわばりに先回りして、その晩はそこで眠った」 6月11日 月曜 120日目―18km 北アルプスに来たぞ ポール―「お昼の12時、山へ戻る大きな道路に面したガソリンスタンドの外で、親指を突き出し、とびっきりのスマイルをしていた(そこで働いている人たちを楽しませることになった)。 ぎりぎりになって電話をかけたり、手紙を投函したり、お金を両替したりして、その朝は過ぎていった。1時間後、照りつける太陽の下、僕たちはまだガソリンスタンドの外にいた。しかし、町を出て歩き始めた時、トモコが一車線ふさぎながら、なんとか僕たちと荷物全部を車に乗せてくれた。 彼女が降ろしてくれたところから別の車に乗ることができ、ヤマザキさんが数日前に僕たちを乗せてくれた無料の温泉に行った。ゆっくりお湯につかり、硫黄の匂いをさせながら、山へ深く入っていくスカイロードへ歩いていった。 温泉場の料金を取る係員が僕たちに手を振って、次の温泉場まで8キロもあるよと教えてくれた。彼の心遣いにありがとうを言っただけで、特に説明しようとはしなかった。僕たちは、クレイジーな生活をしているからね。 18キロ歩いた後肩が疲れたが、登山口で夕食を準備しながら工事の作業員が帰るのを待っていた。そうすれば、そこの駐車場でテントが張れるからね。これから14日間、山の生活がはじまる」 焼岳(2455mm―30番目の山) 6月12日 火曜 121日目―12km トム―「1人2カップ分のポリッジ(おかゆ)でその日が始まる。これから2週間、こんなかんじでやっていかないといけない(お昼はゴープで、夜はラーメンだ)。焼岳に登る道は、木の多い急斜面を登り、蒸気でシュッシュと言っている火山の頂上に続いていていた。 山頂から見た景色はすばらしかった。北アルプスの山々が、僕たちの行く手に広がり、背後には乗鞍岳の雪の斜面が広がっていた。 山頂から北を目指し、木のある尾根を歩いた。尾根は、信じられないほど急で岩だらけになった。テントを張れるくらいの平らな場所を見つけて休み、ラーメンを作るために雪を溶かした」 穂高岳(3190mm―31番目の山) 6月13日 水曜 122日目―7km トム―「キャンプした尾根を1日で終わらせたいと思っていたが、予想していたよりも進むのがすごくむずかしい(しかし、それが楽しい!)ことがわかった。 4、5時間かけて、足場のもろいナイフのように鋭く切り立った場所や、ほとんど垂直に立っている岩を這って登り、穂高岳に着いた(穂高岳は北アルプスの中で1番高い)。山頂を去ってから、尾根はもっと険しくなり、雨も降り出した。鎖やはしごがあるところもあったが、雨のせいでそれらはすべりやすくなり、助けになるどころか足手まといになるので、できるだけそれらを避けた。 5時半で今日は終わりにして、両側がとても深い崖になっている鞍部でテントを張った。2日目にして、スケジュールがもう半日分遅れていた」 槍ヶ岳(3180m―32番目の山) 6月14日 木曜 123日目―15km ベン―「この天気はサイテーだ。4時半なんて、目が覚めるわけないじゃん。 トムは、強い風と雨、それに濃い霧を物ともせずに、調理用ストーブを再生させた。もうちょっとで、風防がそれを吹き消すところだったけどね。朝食を取ってからすばらしい尾根を歩きつづけ、暴風雨にもかかわらずその旅を楽しんだ。 槍ヶ岳に着くまえに、大きな岩が2つも僕の足に落ちてきた。本当にびっくりしたし、とても痛かったけれど、スカルパのブーツは僕をきちんと守ってくれた。 槍ヶ岳はどこから見てもわかる尖った岩の山で、晴れた日なら他の山から簡単に区別がつく。でも、今日は晴れていないので、さっさと移動する。10時間以上も歩いたが、天気はずっとガスったままだった。だから、小屋を見つけた時はとてもうれしかった。 最初の山が予想以上に険しかったので、スケジュールが1日遅れている。すでに分配してある食料を、分配しなおさなければならなくなった。3日目にして1日も遅れているなんて、考えると恐ろしい!」 常念岳(2857m―33番目の山) 6月15日 金曜 124日目―23km ベン―「今日1日の前半、バックパックを小屋に置いて常念岳に登った。そこだけ、東に位置しているのだ。天気が悪いのが続いて、ちょっと僕の気持ちはじめじめとし、服もじめじめとした。でも、山頂から帰ってくる時ポールといい会話ができて元気になる。それから、槍ヶ岳に向けて戻った。登山用品を見つけたので、いよいよいい気分になれた。だから、足が冷たく濡れていても、夕飯を料理することができた」(たぶん、スプーンを使うべきだったんだよ―編集者) 笠ヶ岳(2897m―34番目の山) 6月16日 土曜 125日目 27km ポール―「朝、テントから見えるすばらしい景色のおかげで、すし詰めになって寝ている悲惨な夜が報われたというものだ。テントの端につぶされてる上に、マットの下に水たまりができているなんて、本当に目覚めのいいものじゃないんだよ。 とにかく、空は鮮やかに青く槍ヶ岳のうしろに広がっている。昨日登った山頂と僕たちの間にある谷に雲がかかっている…きれいだ。 槍ヶ岳の岩の山頂は、午前中僕たちが北に向かっている時ずっと、稜線にそびえていた。なぜこんなに人気のある山なのか、すぐわかる。不幸にも開いている小屋の外にバックパックを降ろして、必要なものとリュックサック1つで今日の百名山に向かった。 地図によると往復で10時間半だった。僕たちには日のある時間が7時間しかない! 山頂までの道のりは、長かったが楽しいものだった。2つの尾根が、すばらしいカールに接し、またありがたいことに雲も晴れた。霧のなかでは、雪の道をどっちに進めばよいのか分からなかっただろう。山頂のすぐ下にある小屋で休み、再建工事をやっている作業員にジュースをもらった。彼らは、ヘリコプターでやってきたので、僕たちのことを完全にイカれていると思った。 山頂はいいところだったが、もやがかかっていたので、写真を撮り、食事を済まし、引き返した。夕暮れ時になんとか小屋に帰ってきたが、僕なんかは前に進み続けるのに苦労したほうだった。本当の山小屋が開いている間は、非難小屋の方を使ってはいけないと厳しく言われたので、その夜はさっさと夕飯をすませ、ストーブに初めて問題が生じ、それからテントに体を押し込んだ」 鷲羽岳(2924m―35番目の山) 黒(水晶)岳(2986m―36番目の山) 6月17日 日曜 126日目―15km ポール―「1日で最も多くの山に登り、歩く距離が最も短かった日。全体的に、大変満足。 冷たく澄んだ朝だったが、すぐに暖かくなった。僕たちは少なくとも鼻ぐらいは日焼けしながら、雪の上をトラバースし、今日バックパックを置いて行く小屋へ向かった。ありがたいことに、この小屋は閉まっていた。ちょっと周辺を調べ、くぎを1つ抜き、暗くて静かな建物の中に入った。小さなテントよりもっと広いスペースを求めて。 そう、僕たちは押し入ったんだ。でも、気持ち良く夜の睡眠を取ることが必要だったんだ。その日は、まだいい日だったので、必要なものバッグを持って行かなかった。その代わり、シンプルに服を何枚かと、カメラ、そしてもちろん食料を持っていった。 食料のことは山にいる間ずっと頭の中にあり、食べ物のことになると会話が長くなる。今日、そのことがベンの体をダメにしそうになった。床のツナ缶に突っ込んだベンは、背中のどこかをひねった。残念なことに缶には中身が入ってなかったので、ベンはただ無駄に不快な1日を味わっただけだった。 北アルプスの主稜線に平行に走っている尾根を歩くのは楽だった。全体的にとてものんびりとした遠出で、みごとな槍ヶ岳の山頂がそびえている周りの景色に目を見張った。 歩くのを午後3時で終えて、くつ下を洗ったり(ほっとする)、ブーツの防水をし直したりした。キャンドルをたいてヤーツィーで遊び、その日は気持ちよく終わった」 黒部五郎岳(2840m―37番目の山) 6月18日 月曜 127日目―15km トム―「ベンがシナモン・ポリッジでもてなしてくれた後、照りつける太陽の下を黒部五郎岳に向けて、雪山の斜面に沿っている長いトラバースを通って出発した。暑く汗ばむ登りを経て、山頂に着き、日光浴のために休憩した。 山頂の後の尾根はなだらかで、ゆるやかだったので、楽な道のはずだった。もし、僕たちが道を見失って、ハイマツの間をくぐりぬけることにならなかったらね。時間が経つにつれ天気が悪くなってきたので、開いていて誰もいない小屋を次の山頂の手前で見つけることができてよかった。夜、毛布にすべりこんで、ふとんで眠る前に、キッチンテーブルでコーヒーを飲み、話しをして過ごした」 薬師岳(2926m―38番目の山) 6月19日 火曜 128日目―15km トム―「僕たちが薬師岳に出発した時、もやがかかり、湿気があった。ひとつの山頂に着いて写真を撮ってから5分後、本当の山頂を見つけた。だから、証拠写真を撮る作業をまた繰り返すことに! 山頂からの斜面は険しく凍っていたので、何回か危ない場面があったが、ピッケルを持っていたおかげで大したことにならずに済んだ。天気は、もっと悪くなり、雨は横殴りになり、僕たちのゴアテックスの服を突き刺し始めた。雪の斜面を出ると、今度は道に水が激しく流れていて、僕たちはずぶ濡れになった。 一晩過ごそうと思った非難小屋が板で囲まれているのを見つけた時、2階の窓が開いているのを運良くベンが見た。そして、間に合わせのはしごを使って、15分後にはみんな中に入れた。 中に入るとすぐ薪ストーブに火をつけて、服を乾かし、ストーブのそばで体を温めた。小屋のなかで眠るのは、ボートの中で寝ているようなものだった。暴風雨が一晩中小屋を揺らしていたからだ」 立山(3015m―39番目の山) 6月20日 水曜 129日目―10km ベン―「朝4時15分、おしっこしたくなる。なんで、1時間半もすれば朝飯なのに待てないんだろうなあ? 夜、嵐が小屋を激しく揺らし、屋根があってよかったと改めて思った。南アルプスの時と同じくらい風と雨が激しく、僕はすっかり体が冷えてしまった。 日本の三大霊山のひとつ、立山山頂のちょっと手前で、地図に載ってない小屋を見つけた。それはお寺の売店で、そこで働いている人たちが僕たちの旅にとても興味を持った。僕たちは1時間半も彼らと話をし、そのうちの1人はほら貝を吹く技を披露した(多くの山伏がこの奇妙で、えたいの知れない音を貝から出し、僕たちも時々山で聞く)。その上、アン・スープ(おしるこ)もごちそうしてくれて、登山の成功を意味する鈴をくれた。 とてもやる気になってそこを去り、岩だらけでむき出しになった山頂を出て、すばやく行動してキャンプ場を見つけた。いつも僕はテントに当たる雨の音に気持ちが落ち着ついてきて、寝袋にきちんと入るか入らないうちに眠ってしまうんだ」 剣岳(2998m―40番目の山) 6月21日 木曜 130日目―18km ベン―「キャンプにバックパックを残し、僕たちがずっと楽しみにしていた山頂を目指す。剣山には、すばらしい岩がたくさんあって、すばらしい尾根が四方八方に流れているんだ。 雨は止んで、僕たちは雲の層2つにはさまれていた。僕たちの下には白い海が谷を埋め、そこからぽこぽこと頭を出している尾根はイルカのひれのようだった。それに加えて、僕たちは本当にいい感じの岩の上を歩いていた。山頂に着いた後、主稜線から谷に下りて、次の山のふもとを通っているトンネルに行った。下りる道は、両端が切り立っている崖の間を抜け、雪解け水が流れる川になっていた。岩に登る時間があれば良かったのになあ。 午後6時、トンネルに到着。通り抜ける前に夕飯を作った。闇にまぎれて、凍りつくトンネルに突入し、6キロを1時間で出てきた。この旅で最も長いトンネルを歩くという違反をやってのけた。僕たちとジェームズ・ボンドの唯一の違いは、大変な仕事をやり遂げた後、ボンドガールを抱く代わりにお互いを抱き合うってことだよ!」 鹿島槍ヶ岳(2889m―41番目の山) 6月22日 金曜 131日目―14km ポール―「食堂や土産屋があるバス乗り場のトイレに歩いて行くと、とても奇妙な感覚に陥った。これらはみんな山の中にあるのだ。 この朝の始まりで、僕たちはアルプスを立ち去るような感じがした。でも、そんなことはない、僕たちは2番目の尾根を登ろうとしているのだ。途中、60歳を越した人たちの登山クラブを追い越した。あのくらいの年になっても、大きな山に登ることができるといいなと思った。尾根の最初の小屋で、また彼らに会った。満面の笑顔で僕たちに挨拶をし、僕たちが何をやっているのか興味深く聞いてくれた。 1日中、雲が山頂付近を流れていたけれど、登りも最後にさしかかった時、ちょっとの間だけ山頂を見ることができた。山頂で暑くてばったりと倒れ、みんなかなり疲れていて、食料がもっとちょっとだけ多くあればいいのにと思った。 やっと、写真を撮る力を奮い起こして、その日3番目の小屋へ向かった。屋根のあるところで眠りたかったのだ。とてもおもしろい箇所を通って、フォートノックス陸軍基地のように硬く閉ざされている小屋に下りていった。トムと僕は周りをよく調べ、キャンプでもいいだろうと思ったが、ベンはそこであきらめなかった。間に合わせのロープを使って、ダウン・クライムをし、そしてくぎ何個かに注目したあと、わきのドアから僕たちを迎え入れたのだ。 ここで言っておかなければいけないのは、使った場所は見つけた時と同じ状態にして立ち去っているし、きちんと体を伸ばせるっていうのはとってもありがたいことなんだ」 五竜岳(2814m―42番目の山) 6月23日 土曜 132日目―12km ポール―「今日はちょっとしか歩かない予定だった。でも、その日予定していたことが午後1時までに終わってしまい、42番目の山も登ってしまったので、計画を調整してもうすこし進むことにした。 五竜岳はおもしろい山で、あるところではよじ登ったり、足場のもろい急な斜面で慎重に足を運んだり、霧の中へ登って行ったりもした。山頂から泊まろうと思っていた小屋まで、あっというまに下りて来られた。 外で昼食を取りながら気がついた。今日の午後もっと進めば次の日アルプスを出られるだろうから、1日分の食料が自由になることに。ランチタイムは、パーティーになった! 地図によると尾根の油断のできない箇所に入ることになる。しかし、僕たちが経験してきたことを考えると、油断のならないことなんか1度もなかった。その日は、最後の山頂まで1時間半というところで切り上げた。 最後の尾根でテントを張った時、風が少し吹いていたが気にならない程度だった。調理用ストーブがなんとか使えるように奮闘すること3時間(ポンプのねじ山が完全にすり減っているのだ)、必死の願いは聞き入れられ、それはぐつぐつ息を吹き返した! 夜11時にやっと落ち着いて、何日か分のラーメンを食べることができた」 白馬岳(2932m―43番目の山) 6月24日 日曜 133日目―19km トム―「今までで最も長かった1日の後、僕たちは1時間朝寝坊することを楽しみにしていた(4時半の代わりに5時半に起きるんだ!)。 夜の間に風は90度変わり、強風になってきた。それから、雨がテントの擦り切れた継ぎ目の間から入ってきて、片側に3センチくらいの水たまりがすぐできた。 夜中の2時半には、砂地に打ったペグは全部風にとばされ、ポーチははためいて開いてしまい、備品(水筒2こ)も尾根のどこかへ消えてしまった。 続く2時間は、テントポールが折れたり布が破けたりしないように、内側からテントを押さえていた。 まわりがやっと明るくなると(朝の4時)、朝ご飯も食べずにパッキングをして、次の山へ朝5時に出発した。 雲がたちこめていたので、歩き始めてすぐに道を見失いそうになった。2時間後、山頂の下にあるトイレのところで、ゴープ(携行用食品)をすこし食べた。 朝7時半には白馬岳の山頂にいた。北アルプス最後の山だ。 山を下りると非難小屋の前を通ったのでちょっと中に入り、ポリッジを作ろうとして2時間もストーブと格闘したが何もできなかった。空腹のまま小屋を後にし、岩の上に広がったすべりやすい雪原を2キロ歩いた(グリセードなしで!)。 12時半、僕たちは道路でブーツを脱ぎ、サンダルをひっかけ、白馬(長野冬季オリンピックの開催された町)へ10キロ歩く準備をした。町に着くと、デパートに自分たちを解き放ち、ものすごい量の食べ物を買って、ぐうぐう言っているお腹を満たした。 店の中で3、4時間座り、食べて、リラックスして、ティム・クラフトかレイチェル・ヒルズのどちらかに連絡しようとした。近くで泊まるところを提供してくれる人たちだ。 夜8時、レイチェルの小さな軽自動車が駅に止まると、僕たちはそれに体を押し込み、ハイスピードに大声をあげながら、豪華な家に到着した。豪華なシャワーに、豪華な食事だ」 6月25日 月曜 134日目―0km パンケーキとディナー・パーティー ベン―「どうしたことか、僕は朝7時前に目が覚めた。トムもすぐに起きてきて、一緒に朝食のパンケーキを作った。レイチェルはこの先二度とこんなパンケーキは見ないだろうね。僕たち、40個くらい焼いて食べたんだ。実際、彼女が仕事に出かける時も、まだ僕たちむしゃむしゃと食べていた。 そして、またすばらしい親切と信頼を僕たちは経験した。レイチェルが、車を自由に使っていいと言ってくれたのだ。それから、ポールがドライブしてティム・クラフトの家へ行き、とても有意義な事務作業を始めた。お昼頃、作業に専念する空気は中断された。玄関が開いて、背の高い色黒の美男子が中に入ってくると「ハニー、ただいま」と大声で言った。 これが、ここの主人との出会いだった。僕たちは彼のパソコンを占領し、彼の家を何日かオフィスとして使おうとしているのだ。彼と一緒にいた同じ学校で働いている先生は、全然知らない僕たちがティムの家で彼を出迎えたのでびっくりしていた。 タイプするのが終わって、僕たちはメキシカン・ディナーに招かれ、そこでティムの親しい友達に何人か会った。アルプスは遠い昔のことのように思えた」 6月26日 火曜 135日目―0km JETの寛大さ ポール―「ティム・クラフトは何ヶ月か前に連絡を取ってきて、もし立ち寄ることができるなら資金集めのパーティーを計画しようと言ってくれていた。事前に来る日が分かるなら、ということだったけど―僕たち、本当に次の晩どこに行くかも見当がつかないからね! でも、北アルプスに入る間際でティムに連絡を取ると、26日に来られるならその日行われる予定のパーティーで、チャリティーのために何かをやれるだろうと言っていた。 アルプスにいる時それは無理だろうと思ったこともあったけれど、僕たちは今こうして長野県JET送別会のゲストスピーカーとしてここにいる。ミーティングに続く食事会に行くことや、その後の2次会に行ってバーに入ってくる人たちにチャリティーの募金をお願いしてもいいと言われた。 ミーティングはうまくいった。この旅のことを説明しようとしている時、僕は頭の中が真っ白になった。でも、トムとベンは落ち着いていてしっかりしていた。そして、かなりの人たちがスピーチをした僕たちにお礼を言ってくれた。食事は、すばらしかった。食べ物と飲み物の品揃えがすごいレストランで、2時間食べ放題、飲み放題だったのだ。 これは、言っておかないと。僕たち3人は、とにかく食べまくった! ベンとレストランに入ったのは間違えだった。奴はエイドリアン・グレーに悪魔のカクテルをものすごく飲まされたのだ。厳しかった山の生活2週間の後で、ちょっとした休養を取る任務にあるベンは、そのチャレンジを受けて立ち、飲みまくった。 デービスさんとかいう人のすばらしいビデオは、どんどんピントがずれてきた。食事会が終わり移動する時、ベンはわけが分からなくなり、誰とでも友達になった。 トムと僕は用心棒のようにドアに立ち、ベンがよろよろしているのを見た。望んでいたより多くの寄付をしてくれた長野のJETたちの非常な寛大さに驚かされた。個人レベルではみんな僕たちを非常に歓迎してくれて、僕たちのやっていることにとても興味を持ってくれた。全体的にとてもすばらしい夜だった。ごく小さな唯一の汚点は、ベンが2時間どこかに消えて、探さなければならなかったことだ。 やっと女子トイレで見つかった時、ベンは長い間なったことがないくらい気分が悪くなり大変なことになっていた」 6月27日 水曜 136日目―0km タイプ、地図の確認、サーフィン トム―「みんなベッドから出たくないと思った。でも、何週間か前にさかのぼって日記を書き終えなければならない。フレンチトーストを食べてからレイチェルの家を這い出し、彼女の車によろよろと乗りこみティムの家へ移動して、タイプしたり、これから3週間のルートを地図で確認したり、ネットサーフィンをした。午後、ティムが東京にいる友達トムからの小包を持って学校から帰ってきた。その中には、スポンサーのブレイシャーから3人分のゴアテックス・ブーツ(市場で最も軽いレザー・ブーツさ―スポンサーのページリンクが貼ってあります)と、1人用テント、予備のストーブが入っていた。ティムは、夕食にマカロニチーズと、とてもおいしいチョコレートブラウニーでもてなしてくれた」 6月28日 木曜 137日目―0km 今日も、休み! トム―「今日は家族と友達にEメールして(それに、ウェブページの書きこみを終わらせて、会社にもEメールする)、手紙をポストに入れ、これから山で生活するための4、5日分の食料を買った。夜、レイチェルの家へ夕食に行った(とてもおいしいマッシュルーム・ストロガノフだった)。朝9時には、僕たち3人と膨らんだリュックサックは彼女の小さな車に乗り白馬に向かっていた。日曜の夜、彼女が僕たちを迎えにきてくれたところだ。グッバイを言った後、僕たちはスーパー・マーケットの荷物を積み込む屋根のあるところで眠ることができた」 6月29日 金曜 138日目―26km 足が重い トム―「朝6時、寿司の配達で起こされ、荷物をまとめることにした。ジップロックに食料を詰めたり、電話をかけたり、フイルムやビデオテープを投函したり、チャリティーの講座に長野のJET(英語の先生たち)から集まった7万円を入れたり、高妻山に登るための地図をさがしたりするので午前中は過ぎていった。 白馬を離れると僕たちの足は疲れ、照りつける太陽が僕たちの力を吸い取った。この前1ヵ月半も山を登って甘やかした足で、道路を歩くのは退屈だ。運のいいことに日中気温が下がってきて、なんとか雨飾山の登山口にたどり着くことができた。舗装されていない駐車場にテントを張った」 雨飾山(1963m―43番目の山) 6月30日 土曜 139日目―9km ベン―「霧雨のなか登山口に向けて歩いていると、この山をずっと上まで車で行く日本人に会った。でも、『とてもひどり雨降り』だから、彼らは登頂しようともせずに帰っていった。僕たちは登りつづけ山頂に着き、悪い天気だったけれど多くの人が頂上まで来ていた。 次の山頂は尾根を1つ歩いたところにあるので(僕たちは4日間で山4つ登るという計画だ)、そこまで下り始めた。まわりの植物と豪雨のせいで、マイケル・ダグラスが出ていた『ナイルの宝石』とかいう映画を思い出す。僕たちが下りている傾斜がだんだん急になってきて(80度くらい)、泥とすべりやすい草が並んでいた。 僕は先頭にいて、滑った。落ちる時に、これは痛くなるぞと思ったことを覚えている。そして実際、滑って、弾んで、急激に25メートル落ちたあと、かなり痛かった。 トムとポールは僕が落ちたのを見なかったけど、トムはなぜ僕が『痛い!』とたくさん言っているかと思ってすぐに来た。 その時は、まだどういう状態なのか僕も分からず、トムに脚を診てくれるように頼んだ。奴が『ちくしょう!』と大声で叫んだ時、何か良くないことだと思った。 ももの付け根の方に長さ10センチ、幅2、3センチほどの大きな傷口があった。ポールは手当てをするのを手伝ってくれた。僕たちは山に行くのをあきらめて、病院を探しに行った。 下山するのは痛かった。でも、そのことよりポジティブでいることのほうが難しかった。これが僕の体にどう影響して、まだ登りつづけられるのかと心配になってきた。 病院は車で1時間のところにあったから、歩いていたなら1日かかっていたことだろう! そして、ここでも驚くような日本人の優しさに助けられ、あるカップルが車を出して手術をする病院に連れていってくれた。その女性は僕が縫われている間、手までにぎってくれた。 そして、レイチェル(北アルプスのあとで僕たちを泊めてくれた英語の先生)が来てくれて、みんなで彼女の家に戻った」
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